桜の花も喜びを誘うかのような今日、ここに、ご来賓の方々のご臨席を得て、2017年度滋賀大学入学式を行うことができますことは、私ども滋賀大学の大きな喜びでございます。厚く御礼申し上げます。

 教育学部246名、経済学部532名、データサイエンス学部110名、教育学研究科66名、経済学研究科31名、特別支援教育専攻科11名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。あなた方を滋賀大学は心から歓迎します。皆さんの入学は、あなた方を支え続けてくれたご両親やご家族、先生、友人たちのおかげです。心からの感謝をもって、その方々と喜びを分かち合ってください。

 皆さんの入ってきた滋賀大学は、教育学部においては1875年の小学校教員伝習所、そして同年の滋賀師範学校に始まり、経済学部においては1922年の彦根高等商業学校、いわゆる彦根高商に始まるもので、両学部とも長い歴史とその中で築き上げられてきた知的資産と伝統を持っています。そしてまた、本年度からは、日本で初めてのデータサイエンス学部という、時代の先端を切る新しい学部が誕生し、これからの日本のさらなる発展に大きく貢献しようとしています。いま滋賀大学はきらきら輝き始めています。

 新入生の皆さんは、滋賀大学にどのような思いを抱いて入学・進学されたでしょうか。希望に満ち溢れて、これからの大学生活を有意義なものにしようと計画していることと思います。滋賀大学は、その期待に応えます。われわれは、滋賀大学の卒業生たちが、自ら高い意欲を見出し、自分を磨きあげることにより、勇躍と社会に飛び立って成功を収め、滋賀の地で学ぶことができたことに満足と喜びに満ち溢れていることを知っているからです。

 そこで、今日この入学式に当たって、二つのことをお伝えしようと思います。一つは滋賀大学でこそできることです。もう一つは大学というところで行うことです。

 まず、滋賀大学でこそできることです。新入生の皆さんは、国立大学、とりわけ人文社会系及び教育学系の大学が転換を迫られていることをご存じと思います。また理系も含めて財政的に極めて苦しい状況にあることもマスコミ等を通じて知っているでしょう。滋賀大学もこれまでそうした厳しい状況の中であえいできました。しかし、昨年度からデータサイエンス学部の設置という、滋賀大学にとってその歴史の上で初めての理系の要素を持つ学部の新設に踏み出し、新たな時代に入りました。それはこれまでの人文社会系と教育系の枠を超えて、3つの学部が鼎の三本足のように大学全体として「文理融合」という先端的方向を切り開いていくものです。

 この文理融合は二重の意味を持っています。まず、データサイエンスそのものが、文理融合の学問です。データサイエンスは、このビッグデータの時代に、データの収集、保管、加工を扱うデータエンジニアリング、データの解析・分析を行うデータアナリシス、そして、解析結果から新しい価値を発見、創造する価値創造の3つの部分からなります。確かに、データエンジニアリングとデータアナリシスには理系的な性格が色濃くみられます。しかし、この最後の価値創造には、そのデータが用いられる社会のそれぞれの分野の知識と理解が必要です。これは人文社会系の果たす役割です。このようにデータサイエンスの習得と利用には、理系のスキルと人文社会系の知識の両方が含まれるのです。

 そして滋賀大学には教育学部と経済学部があります。そのいずれもで、データサイエンスの入門の講義が開かれ、それぞれの分野や領域でデータに基づく学習や研究、そして成果の応用が可能になります。教育学部では、子どもたちのデータに基づいて教育のできる教師を育成します。さらにその先生たちが学校や園で、子どもたちにデータに基礎づけられた勉強の楽しさを伝えることができます。私はこうした先生方を未来教師と呼んでいます。子供たちに素晴らしい未来を現実感をもって語り、伝えることができるからです。また、経済学部では、統計やデータに基づいた経済・経営の知識を養います。単なる理論ではなく、もちろん理論そのものは基礎として重要なのですが、それに現実のデータを加えてより実践的な能力を鍛えるのです。データの解るエコノミスト、データに基づいて語ることのできるエコノミストとして、活躍するのです。

 もう一つ、皆さんが大学で行うべきことを伝えたいと思います。それは、大学で何を学ぶか。ということです。つい先日の卒業式で、卒業生代表が答辞の中で、大学では「正解のない問題」に取り組んだと述べています。諸君はこれまでの勉強で正解を求めてきたと思います。その最たるものが大学入試だったでしょう。受験勉強はまさに難しい問題の正解を求める練習でした。問題の正解を突き止めること、これは大変重要なことです。しかし、社会の中には正解のある問題ばかりではありません。また正解があったとしてもたった一つの正解ではなく、複数の正解がある場合もあります。さらに正解があるかどうかさえ分からない問題もあります。ある時点では正解でも異なる時点では間違いである場合もあります。さらに、何が問題なのかさえ、自分でつきとめなければならない場合さえあります。

 大学とは、社会の中に存在するそうした複雑極まりない状況にどのように向かっていくのか、それをどのように考えるのか、何が問題なのか、何故それに正解がないのか、事実はどれか、何が真実なのか、などを根本から探究する場所です。一言でいえば、考える力を養うところです。言い換えれば、大学で学ぶことは、問題の発見と創造、事実を見極めること、真実を見抜くことです。それは自ら探し求めなければなりません。大学の先生たちは、それぞれの専門分野で、そうした複雑で困難な問題、これまで正解が見つかっていない問題、何が真実かわからない事柄を追究しています。これが「研究」というものです。その研究の成果の一端を皆さんに教えることを通じて、皆さんが今申し上げた能力を自分で養っていくための「先達」、つまりガイドの役割を果たしているのです。

 皆さんはそうした勉強、むしろ作業というべきかもしれませんが、勉強を通じて、自分の価値観と意思を形成していくのです。解り易く言えば、自分の力で世の中の様々な事象を観察し、価値判断し、意思決定していくのです。そこでは、他人の意見に惑わされることなく、また不当な利益に誘われることなく、物事を判断し、決断します。

 もちろん、自分の下した判断が間違っていることもしばしばあります。その場合には、もう一度自分の思考過程を振り返って、適切な、真実な、正しい道を探るのです。誤りを恐れてはなりません。学問のうえで、誤りは正しい道への肥やしです。一度誤るとその道は歩きません。また誤ったときには別の道を探します。そのようにして、正しい道を進むことになります。ゴールが見えてきます。そのゴールは、先ほども言ったように、「正解」とは限りません。むしろ、何が自分にとって問題であり、それがどのような内容のもので、いかなる困難を含み、何をどこまで解決できるのか、そして、その先にどのような光が見えるのか、が分かること、それがゴールです。その過程を通じて、いったん自分で決断すれば、それを貫く力も伴ってきます。付け加えれば、その力こそが、現在の世界のあちこちではびこりつつあるポピュリズムを駆逐する源泉なのです。

 中国の思想家孟子は、「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん。」(自反而縮 雖千萬人 吾往矣)といいました。その意味は、「自分を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当ろう。」ということです。皆さんがこれから学ばれることを基礎に、自分の判断を確立したならば、それを貫き通してください。ただし、それは「何が何でも」という意味ではありません。孟子は、「自ら顧みて縮(なお)くんば」、つまり自分を顧みて正しければ」といっています。常に「自分が正しいかどうかを考え直し、見直した上で、それでも確信が持てれば」と言っているのです。自ら誤りがあれば、勇気をもって間違いを認め、それを正すことが必要です。そのうえで、自分をきちんと主張しなさい、というのがこの孟子の言葉の意味です。

 大学とは、このように考え、主張し、見直し、正す勇気をも皆さんの中に築きあげる素地を提供するところなのです。

 皆さん、ご入学おめでとう。きらきら輝く滋賀大学へようこそ。皆さんが、滋賀大学での学生生活を通じて、琵琶湖に映える陽の光のように、きらきらと光り輝きますように。

 

平成29年4月5日
滋賀大学長 位 田 隆 一

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