皆さま方、御卒業まことにお目でとうございます。本日、滋賀大学を卒業または修了し、本学を巣立ってゆかれる皆さま方の門出を、御来賓の皆さま方、本学の教職員、そして在学生の諸君とともに、心からお祝い申し上げます。

 本年度は、教育学部244名、大学院教育学研究科修士48名、特別支援教育専攻科8名、経済学部553名、大学院経済学研究科博士前期課程37名、博士後期課程5名の総計895名の卒業生・修了生に対し、学位・修了書を授与する運びと相成りました。

 君たちが本学に入学されたのは2011年4月、同年3月11日の東日本大震災、そして福島第一原発事故という100年に一度の大惨事が勃発した直後のことでした。その後、被災地の復興は必ずしも儘ならないまま、4年間を経ました。その間、国内外の政治経済情勢には、様々な予期せぬ変化が生じ、近未来の予測すら難しい「不確実性の時代」へと向かって私たちは歩みつつあります。

 さて、安倍政権が発足したのは今から2年余り前、2012年12月のことです。安倍首相は「経済成長を取り戻す」ことを政権の最優先の課題に掲げ、アベノミクスの「三本の矢」、すなわち一本目の矢である「大胆な金融政策」、二本目の矢である「機動的な財政政策」、三本目の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」を一斉に放つことにより、四半世紀近くに及ぶ長期低迷から日本経済を脱却させることを、国民に約束いたしました。

 異次元金融緩和と日銀総裁が呼ぶ「大胆な金融政策」、すなわち、年率2%のインフレが達成されるまで、日銀が無制限に国債を買い上げるという措置のおかげで、円・ドル交換レートに関しては、1ドル=80円前後から1ドル=120円にまで円安が進行いたしました。また、日経平均株価は、8500円前後から19000円前後まで、2倍を超える値上がりを叶えました。

 円安・株高のせいで、企業業績そのものは大いなる改善を成し遂げ、そのおかげで、今年の卒業生諸君にとっての就職市場は、久々の、近年では稀に見るほどの売り手市場だったのではないでしょうか。とはいえ、長年に渡る不況から、日本経済が本格的に回復したのかどうかは、未だ予断を許しません。個人消費支出、民間企業設備投資などの内需の伸びは、今ひとつ勢いを欠き、貿易赤字幅がなかなか縮まらず、今年度の実質経済成長率がマイナス1%前後に止まることは、ほぼ確実と見てよいでしょう。

 1991年3月に平成不況が始まって以来、昨年度までの実質経済成長率は、平均年率で0.9%、名目経済成長率はマイナスといった有り様だったのです。つまり、わが国の国内総生産は、名実ともに、まったく成長しなくなった。すなわち、我が国の経済は「成長力」をすっかり失ってしまったのです。そこで安倍首相は、日本経済の成長力を取り戻すことを、最優先の政策課題に掲げたのであります。

 過去四半世紀のあいだ、日本経済はまったく成長しなかった。にもかかわらず、この間に、私たちの生活の利便性と快適性は、飛躍的な高まりを見せました。君たちが生まれた1991,2年頃には、携帯電話は固定電話の子機ぐらいの大きさと重さでした。最も軽いモバイル・パソコンですら、その重さは4キログラムを超えていました。一般の人々が手軽に使えるデジカメ、DVDプレーヤー・レコーダーもまだありませんでした。

 軽量のノートパソコン、折り畳み式携帯電話などが登場したのは、1990年代半ば過ぎのことでした。いわゆるスマートフォンが普及し始めたのは2007年頃からのことです。情報通信技術(ICT)の革新と、情報通信機器の普及が急速に進展したのは、日本が不況に喘いでいた、直近の過去四半世紀においてのことだったのです。各種ICT機器の普及のおかげで、私たちの生活の利便性と快適性は飛躍的に向上したのです。

 過去四半世紀間に起きた、もう一つの画期的技術革新は、医療の分野でもたらされました。例えば、開腹することなく、内視鏡を使って、内臓に外科手術を施す腹腔鏡手術が可能となりました。その他、諸々、医療技術の未曾有の革新が、過去四半世紀の間に積み重ねられました。そのおかげで、日本人の平均寿命は1990年の女子82歳、男子76歳から、2013年の女子87歳、男子80歳にまで延びました。健康長寿は、誰しもが願うことであり、医療分野の技術革新により、そうした願望が、徐々にではあるが着実に実現されつつあります。

 以上を要するに、過去四半世紀のうちに、経済はまったくと言っていいほど成長しなかった。にもかかわらず、私たちの生活の利便性と快適性は、過去に類例を見ないほど、飛躍的に高まったのです。言い換えれば、経済成長は、私たちが目指す「豊かさ」と「幸せ」の増進のための、十分条件でないのは無論のこと、必要条件ですらないことが実証されたのです。この国のみならず、世界に住まう人々をより「豊か」にし、そして、より「幸せ」にすることこそが、成熟化を遂げた我が国の果たすべき役割に他なりません。

 だがしかし、我が国に住まう人びとの誰しもが、過去四半世紀のうちに、より豊かに、より幸せになったのかと問われれば、すぐさま首を縦に振るわけには参りません。昨年来の話題の一つに、フランスの経済学者トマ・ピケティの大著『21世紀の資本』が提起した、1980年代半ば以降の先進諸国や新興国における、所得格差と資産格差の急拡大という「事実」があります。

 アメリカでは、総所得の20%以上が、所得分布の上位1%の富裕層に分配されるという、極端な不平等がまかり通っています。新興国である中国もまた、アメリカに勝るとも劣らぬ格差社会であることが垣間見えてきました。我が国においては、高齢化と非正規雇用の増大がもたらす所得格差の拡大、そして過去2年間の株価高騰に由来する資産格差の拡大が認められるとはいえ、アメリカのような、極端な所得格差は認められません。

 とはいえ、我が国においても、能力や努力の差異を給与の格差に、積極的に反映させるべきだ、と主張する企業経営者、政治家、エコノミストが増えつつあります。敢えて私は、そのことの是非をここでは問わないことにいたしますが、企業に就職する君たちの多くは、好むと好まざるとに関わらず、アメリカ型格差社会を強かに生き抜く覚悟を持たねばならないことを、老婆心ながら、一言、ご忠告申し上げておきます。

 アメリカ型格差社会における格差発生の主要な原因の一つは、教育の機会不平等であります。良質な教育を受ける権利は、基本的人権の一つだと言っても、決して言い過ぎではありません。初等中等教育の担い手となられる教育学部・研究科の卒業生諸君には、公立学校においても、私立学校に見劣りしないだけの、良質な教育の機会をすべての子どもたちに提供できるよう、ご尽力願いたい。親の経済的格差を子どもたちが世襲する、格差の固定化は、民主主義社会において、あってはならない不平等なのです。

 実際、ヨーロッパ諸国では、幼稚園から大学院まで、授業料はほとんど無償に近く、フィンランドでは教育費の全額を国が負担しています。他方、アメリカの州立大学・私立大学の授業料は年間200万円から400万円もの高額であり、親が相当なお金持ちでない限り、大学進学はままならないのが実状です。

 ただし、アメリカの大学には、手厚い奨学金制度が整っており、アウトスタンディングな能力の持ち主でさえあれば、親が貧しくとも、大学で学ぶチャンスが、僅かながらも与えられているのです。

 つい2年前のことですが、アメリカのマサチューセッツ工科大学がインターネット上に公開する無料の講義を受講し、ショートテストや期末試験で満点の成績を収めたモンゴルの16歳の高校生を、授業料免除、奨学金給付の特待生待遇で、マサチューセッツ工科大学が入学させたという事例がございました。

 かつて、アメリカ合衆国独立200年を祝福する映画「ロッキー」の中で、イタリア移民の三流ボクサー、ロッキー・バルボアをして「アメリカ・イズ・ア・ランド・オブ・オポチュニティ」と言わしめたお国柄、アメリカン・ドリームは、今もってアメリカ合衆国には健在なのです。

 翻って、日本について考えてみましょう。日本の国立大学の授業料はアメリカほど高くはないけれども、ヨーロッパ諸国に比べれば、だんぜん高いと言わざるを得ません。しかも、私立の中高一貫受験校の授業料を払えるに足るだけ、親が経済的に豊かであれば、受験戦争で優位に立つことができるのです。

 アルバイトなどせずに、学業と課外活動に専念し得るに足るだけの奨学金制度は、残念ながら、日本の大学には整っていません。授業料免除の枠も決して大きくありません。どうやら日本は、先進諸国の中では、親の経済的格差を子孫が代々受け継ぐ可能性が、最も高い国の一つのようです。

 機会平等と結果平等という、二つの平等があります。親の貧富の格差が、子どもに与えられる選択肢ないし機会に対して、いささかたりとも影響を与えてはならない。ただし、機会の平等が保証される限りにおいて、結果として生じる不平等は、能力と努力の賜物であり、あって当然の不平等だと考える。これが機会平等を尊重すべきであるとする立場に立つ人びとの基本的な考え方なのです。

 結果平等を尊重するピケティのような人は次のように考えます。民主主義社会では、結果としての所得の不平等を最小限にとどめることが望ましい。所得の不平等を是正するために、累進度の高い所得税制と資産税制を導入し、得られた税収を原資にして、低所得者層に所得を移転することが望ましい、と結果平等主義者は主張するのです。

 ピケティ・ブームにあやかり、卒業生諸君には、ピケティが提起した、古くて新しい次のような問題について、自問自答した上で、1週間後の4月1日、社会人としての第一歩を踏み出して頂きたい。

 平等・不平等とは何か。所得と資産の格差は是正すべきか否か。格差の拡大を抑制すべきか否か。教育の機会平等は必要か否か。富める人びとから貧しい人びとへの所得移転は必要か否か。成熟化を遂げた国における、人びとの「豊かさ」とは、そして「幸せ」とは何なのか。

 これらのピケティ問題に対する確固たる答えを持ち合わさない限り、教員、企業人、公務員として、職場で日常的に遭遇する様々な難問に対処するに当たり、君たちは戸惑わざるを得ないこととなるでしょう。すべての人びとが豊かで幸せな社会を創ることを目標に掲げ、それぞれの職場で君たちが御活躍なさることを祈念して、君たちの門出を祝う学長告示を締めくくらせて頂きます。

 改めて申し上げます。本日は、御卒業まことにおめでとうございます。

2015年3月25日
滋賀大学長 佐和隆光