平成27年9月25日(金)滋賀大学の総合研究棟<士魂商才館>において、第12回おうみ学術出版懇話会を開催しました。

 この会は、本学や県立大学、地元出版社等との連携による出版会開設に向け、専門分野を越えて読まれうる学術書出版を念頭に研究報告し、望ましい出版の形について意見交換するために開催しています。

 当日は、滋賀大学の青柳周一氏(経済学部附属史料館教授)から「江戸時代の近江八景を旅する」と題して報告がありました。

 〝近江八景〟と聞いてすぐ、多くの人が「三井晩鐘」から「比良暮雪」までをスラスラと暗唱したのは昔のこと。でも懐かしい響きは今もあります。報告は、江戸時代前期に近江八景が考案され、次第に多くの人々の心をとらえ、幕末に至って、それらの名所がどのように変容したかを、歴史家の視点で語るものとなりました。

 ―― 八つの佳景を詠うことは14世紀に中国から日本に伝わっていた。しかし、近江八景は「ずいぶん若く」、誕生は17世紀前半のこと。以前は近江八景の起源を15世紀末とする説もあったが、近年の鍛治宏介氏の研究で決着。関白 近衛信尹が撰して膳所城主 戸田氏鉄に与えたのに始まる、と。このような都の風雅が17世紀後半から18世紀にかけて定着するのは、上方と江戸を結ぶ東海道の公私の旅の隆昌があってのこと。また背景には、江戸幕府の寺社領縮小策が各寺社の観光化を余儀なくし、都近くに「街道沿いの名所」が発達した事情もある。18世紀後半から幕末にかけての紀行出版や名所浮世絵の売り出しが、八景を楽しむ文化を多彩にした。

 ―― 一例に石山寺を。「石山秋月」が八景に挙げられ、庶民の名所ともなる。寺領は、幕府により中世の十分の一とされ、そのためか開帳行事が増えている。幕末頃の石山訪問の記録をいくつか紹介。大津から船で向かった志士は、境内の「月見楼」から瀬田の唐橋や行きかう舟帆の眺めをめでた。出雲の老女は、「円通閣」あたりの「奇石怪巌」に驚き、本尊を拝し、紫式部を偲んだものの、雨天と木々の茂りで眺望無く落胆。伊勢松坂の商人は、石山へ蛍狩りに出かけ、寺の近くが「俗地」と化していると目をむいた。曰わく、「宿を業とする家どもも全て楼を構え、繁華の地の風を学び、酒肴の値を貪る」と。

 それらの紹介を聞きつつ、広重の絵がスライドで映し出されるのを見ますと、その平和な美しさが、さらに際だって見えました。あとの意見交換でとくに話題になったことを以下に抄録しておきます ―― 地域の〝個性〟の創生と変容の歴史は魅力的。徒歩による旅が基本であった時代の名所のありように興味がわく。昭和24年滋賀県観光協会選定の「琵琶湖八景」は湖南への偏りがない。それは〝京風〟から〝おうみ風〟への展開として面白い。現在の湖南風景の変貌により、現地に佇んでも近江八景の面影を求めにくい。江戸期の八景の歴史を現代の若者に語るにあたって、何を、どのような言葉で伝えるかが、思案のしどころか ――。

 懇話会には、本学出版懇話会企画運営作業部会のメンバーのほか、滋賀県立大学の濱崎理事、サンライズ出版株式会社の岩根社長、本学の福井学術国際課長、亀岡図書情報課長も出席。年内の学術出版会設立に向け、意見交換にも熱がこもりました。

(文責 事務局)

 

対話あり、思案あり

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旅人が歴史を動かす…と青柳氏

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