2008年度 本学教員が推薦する図書を紹介します。(並びは推薦者名の五十音順)
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タイトル 著者 出版社 出版年 推薦者
人間の土地 サン・テグジュペリ 新潮社 1972、1998 磯西和夫
ウェブ汚染社会 尾木直樹 講談社 2007 岩井憲一
戦争文学試論 野呂邦暢 芙蓉書房 2002 内田耕作
仕事の裏切り ジョアン・キウーラ 翔泳社 2003 小野善生
日本を滅ぼす教育論議 岡本薫 講談社 2006 加納正雄
障害児教育を考える 茂木俊彦 岩波書店 2007 黒田学
創造の方法学 高根正昭 講談社 1979 竹中厚雄
最後の授業―僕の命があるうちに ランディ・パウシュ/
ジェフリー・ザスロー
ランダムハウス講談社 2008 田中勝也
沖縄「戦後」ゼロ年 目取真俊 日本放送出版協会 2005 谷田博幸
竜馬がゆく 1-8 司馬遼太郎 文藝春秋 1998 中田実
奇想の系譜 辻惟雄 筑摩書房 2004 中村史朗

『人間の土地』  サン・テグジュペリ 著

磯西 和夫(教育学部生活・技術教育コース)

 私がいままで読んだ本の中で皆さんに勧めたいと思う本を一冊、紹介をすることになりました。一冊、というのは厳しい条件です。
 幼少の時は別にして、小学校時代から硬軟とりまぜていろいろな本を読んできました。特に、大学に通学している間は電車通学の時間がありましたので、これまでで最も本を読んだ時期かと思います。ジャンル、作者の国籍、書かれた時代はいろいろです。とにかく、読みたいと思った本を選んできました。理由は?・・・タイトルであったり、作者であったり、扱われるテーマであったり、単なるなりゆきであったり、強迫観念であったり・・・。
 学生の時は文学(特に近代~ギリシャ時代)、易しい哲学関係の本(?)、工学と科学のノンフィクション、歴史関係の本、SFが多かったことを覚えています。ミステリーとホラーは苦手です。ただ、現代の小説はほとんど読んだことが有りません。これに対して最近はSFが主で、エンタテインメントが多いですね。そのうち、また読みたい古典がある日突然出てくるのでは、と思っています。
 前置きが長くなってしまいました。というわけで、雑多な読書からいろいろ思い返してみたのですが、まず浮かんだのがサン・テグジュペリでした。ちなみに「星の王子様」は読んだことがありません(持ってはいますが・・・)。最初に読んだのはたぶん「夜間飛行」。航空機が好きだったのが理由だったのかもしれません。なにせ私が十代~二十代の時の事ですから。
 この本を契機としてこの著者の本にはまり文庫本を順に読んでいきました。その中で「人間の土地」は好きな作品という記憶が残っていました。そこで、この文章を書くにあたり久しぶりに読み直してみました。サン・テグジュペリの作品は飛行家としての作者の実体験が元になっており、実際の極限状態を出発点として、人としての生き方が描かれています。すてきな時間をまた過ごしました。それからハードカバーの全集を、ただ持っていたいという理由から購入しました。私の読書にはよくあることです。
 読書後の感想の依頼では無かったのでこの位でご容赦ください。本の批評をする柄ではなく、読書を楽しみたい、そして楽しんできただけですので。
 サン・テグジュペリの著作を一度読んでみてください。「人間の土地」は後の方が良いかもしれません。特に「星の王子様」以外を。私はそのうち「星の王子様」を読んでみたいと思っています。

人間の土地

所在 刊年 指定図書記号 請求記号 資料ID
教育文庫新書 2002   081/Sh 61/824 102003532
本館開架 1972 教員推薦 953/SA 22 087042556

『ウェブ汚染社会』  尾木 直樹 著

岩井 憲一(教育学部文化情報コース)

 本書は、急速に発達したインターネットの現状と社会への影響、特に子ども達への影響と対策について焦点を当ててまとめられている。
 インターネットを利用するためのデバイスとして携帯電話に目を向けると、今や小学生が携帯電話を日常的に利用するほど広く普及しており、電子メールのやりとりやWebサイトの閲覧およびワンセグでのTV番組の視聴を手軽に楽しんでいる。その手軽さから、インターネットにアクセスするための主なデバイスはPCから携帯電話へと移り変わりつつあり、ビジネスや教育等での利用に加え、家族内および友人同士での連絡手段としても定着している。
 しかし、インターネットの普及が爆発的に進むようになると、導入当初は想定できなかったさまざまな弊害が明らかとなってきている。本来、インターネットは、研究者や技術者同士の通信手段として行われていたことからネチケットというある程度の共通認識を持つ者同士が限られた用途での利用であることから想定も難しく、現在のようにPCや携帯電話が普及する少し前までは、情報安全教育がきちんと行われないまま利用を始めたために、例えば学校現場や公共の場でも周りを気にすることなく使われるようなマナーやモラルの破壊、不正コピーを初めとする著作権違反、アダルトコンテンツや出会い系サイトの問題など、子ども達はさまざまな誘惑や危機に直面している。
 作者は、このようにインターネットが普及し、子ども達に深刻な影響を与えかねない社会を「ウェブ汚染社会」と名付けている。また、子ども達への影響だけでなく、我々大人自身もコミュニケーション力や思考・表現力等の面で強く影響を受けていることを指摘しており、この社会において、我々大人は何ができるかについて様々な事例を挙げて紹介している。
 その他、携帯会社への提言も行っており、情報化社会への一つの切り口として読んでみると参考になる一冊である。

ウェブ汚染社会

所在 刊年 指定図書記号 請求記号 資料ID
教育開架 2007   371.45/O 25 108000818
本館開架 2007 教員推薦 371.45/O 25 008003222

『戦争文学試論』  野呂 邦暢 著

内田 耕作(経済学部社会システム学科)

 本書は、勇ましい「戦記もの」について論じたものでも、著名な作家の「戦争文学」について論じたものでもありません。戦争について「戦後30年間に出版された作品120冊を評論した」「一種の書誌的論考」を一冊にまとめて昭和52年に刊行された『失われた兵士たち―戦争文学試論』の新装復刊版です(「帯」による)。
 著者の目的は、「戦争という異常な極限状況において日本人が何を考え、何をしたかということを当事者の手記をもとにたどること」にあります。著者の役割は「公式戦史が書こうとしない、また書く必要もない戦いの中における人間を書くことだけ」です。「そこから何らかの結論を引出すのは読者にゆだねたい」としています。著者が戦争体験記に着目するのは、「人間としての道徳的水準を低下させる戦争に際して、自己が人間であるためには、極限状況を克明にかつ細大漏らさず記述することが、戦争という一つの暴力に対する人間的反応といえ」、失われた兵士を含めて「語ることのない多くの兵士たちの沈黙によって裏打ちされているゆえに貴重であり、意味がある」と考えていることによります。本書の紹介は、これだけで十分でしょう。後は、予断や偏見を持つことなく、読者が読み進め、著者のことばに耳を傾けるだけです。
 以下は余談。まず、本書に関わる限りでの野呂の略歴(野呂邦暢『草のつるぎ・一滴の夏』(平成14年)による)。昭和12年、長崎市に生まれ、昭和20年春、諫早市に疎開。昭和20年8月9日、国民学校の同級生のほとんどが被爆して死亡。昭和32年自衛隊に入隊し、昭和33年除隊。昭和49年、自衛隊での生活を描いた「草のつるぎ」で芥川賞を受賞。昭和55年、42歳で急逝。文学作品は著者から離れ、作品それ自体として読むのが常道ですが、略歴からして、野呂が何を考えているかは私にとって大きな関心事でした。本書は、野呂について知りたいと思って接した一冊ですが、「日本人とは何者か」を考える手がかりとなっただけでなく、野呂を解く鍵ともなりました。
 読者に予断を与えたかもしれませんが、素直に読み解いていただければ幸いです。

戦争文学試論

所在 指定図書記号 請求記号 資料ID
本館開架 教員推薦 910.26/N 96 008001609

『仕事の裏切り』  ジョアン・キウーラ 著

小野 善生(経済学部情報管理学科)

 「何のために人は、働くのか」と尋ねられたら、あなたならどのように答えるか。「生活のため」、「とにかく、お金が欲しい」、「働くことが、好きだ」といったように人によって様々な答えが出てくるだろう。この問いは、一見たいへん単純な問いであるが、いざ考えてみると案外深い問いであることが分かる。
 いずれにしても、人びとの一生のうちで働くということは、好むと好まざると大きなウエイトを占めることは間違いない。仕事が人の一生に多大なウエイトを占めるのであれば、仕事を第一に考えなければならないかと言えば、そうでもない。著者のキウーラは、人生の価値を仕事だけに求めることに疑問を呈している。なぜなら、仕事は必ずしも、あなたの一生のパートナーになるとは限らないからだ。職人や芸術家という仕事であれば生涯現役を全うすることは可能であるが、ほとんどの人びとにとって仕事をすることは、何らかの形で企業や官公庁といったような組織と関わっていかざるを得ない。ならば、そういった組織は所属する各メンバーの面倒を一生みているだろうか。そうではない。組織に関わっていれば、必ず定年がくる。定年になれば、自動的に組織を離れなければならいのである。
 キウーラは、人生にとって意味ある仕事、さらにいうと、意味ある人生を問い続けることが何より大事であると主張する。組織以外に人生の意味を見つけることが人間にとっては重要なのである。社会に本格的に参加する以前でこのような問いはピンとこないかもしれないが、社会に出る前に自らの人生について真摯に向き合う機会は必要であるし、その際、非常に参考になる1冊である。

仕事の裏切り

所在 指定図書記号 請求記号 資料ID
本館授業用参考図書 山田和代 366/C 73 004001561
本館開架 教員推薦 366/C 73 008002566

『日本を滅ぼす教育論議』  岡本 薫 著

加納 正雄(教育学部社会科教育コース)

 2007年5月12日の朝日新聞の朝刊に「自省する『戦後教育学』」という新聞記事が掲載されている。自省している(自省を迫っている)のは、苅谷剛彦氏や広田照幸氏(ともに教育社会学者)である。批判の内容は、「社会科学・人文科学の一分野として考えると、教育学は閉鎖的で、その水準もはなはだ心寒い」が、その理由は「『子どもの発達』など独自の『教育固有の価値』を学問の足場にすえたため、他分野との交流が難しかったこと挙げる。政治や経済が教育に及ぼす影響も『子どもの発達をゆがめる』と頭から否定するため、影響の分析自体に消極的であった」ということである。一方、自省を迫られているのが堀尾輝久氏である。堀尾氏の『現代社会と教育』(岩波新書)は読んだことがある。この本を読んだときに感じた疑問と感想に対する答えが『日本を滅ぼす教育論議』に書かれていた。
 この本の著者の岡本薫氏は、現在は政策研究大学院大学教授であるが、文部科学省に在職した経験があり、この本の内容も「著者自身の経験・見聞と個人的な見解を在職中にまとめたもの」である。内容は、日本の教育政策に関する議論の考え方の問題点を指摘したものである。特に「日本の教育の特徴」は興味深い。日本の教育論議では、経済問題としての発想は希薄である。というよりも、否定的である。「日本以外では、教育政策は、『労働力をつくる』という観点から経済問題のひとつとして議論されることが多い。教育政策をテーマとする国際会議に派遣されてくる各国代表の多くも、『労働経済学』の専門家である」というのは、日本的教育論議では信じられないことであろう。
 教育政策に関して、教育(学)的な観点だけではなく、政治や経済を含めた社会的な観点から考えるための一冊として読んでみると面白い。新書であるから、気軽に読めるし、レポートや自分の意見を書くときの新しい観点を提供してくれる本である。

日本を滅ぼす教育論議

所在 指定図書記号 請求記号 資料ID
教育文庫新書   081/Ko 19/1826 105001547
本館開架 教員推薦 370.4/O 42 008000078

『障害児教育を考える』  茂木 俊彦 著

黒田 学(教育学部障害児教育コース)

 著者の茂木俊彦さんは、障害児心理学が専門です。障害児心理学の立場から障害のある子どもたちに対して、学習と発達を保障する学校教育のあり方を提起しています。2007年度から特別支援教育が始まりましたが、これまでの障害児教育が対象としてきた障害に加えて、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、高機能自閉症などが対象に組み入れられるようになりました。そのような制度の大きな変化に対して、これまでの障害児教育が培ってきた教育内容、理論、実践がどのように受け継がれ展開していくべきなのか、具体的な事例を紹介しながら検討しています。
 他方で、障害児教育を教室だけの取り組みとせずに、近年採択された「国連・障害者権利条約」にも触れながら社会全体の課題として考えています。つまり障害児教育を障害者の社会参加と権利保障の枠組みのなかで捉え、近年大きな社会問題を引き起こしている「障害者自立支援法」が抱える問題性にも鋭く指摘しています。
 さらに著者は、特別支援教育が障害のある子どもたちだけを対象とするのではなく、すべての子どもを念頭において、学校教育全体がすべての子どもを大切にする教育へと転換させていくことを課題としています。どのような子どもも排除せず、逆に包摂して、子どもたちが互いに支え合い育ちあう教育を創ることを呼びかけています。障害児教育に興味のある人ばかりでなく、子どもと教育に関心をもつ人には、是非読んでほしい1冊です。読みやすい入門書としてお薦めします。

障害児教育を考える

所在 指定図書記号 請求記号 資料ID
教育文庫新書   081/I 1/1110 107000744
本館文庫新書   081/I 95/1110 007002049
本館開架 教員推薦 081/I 95/1110 008000079

『創造の方法学』  高根 正昭 著

竹中 厚雄(経済学部企業経営学科)

 本書は、社会科学領域における研究の方法論について、平易に解説したものである。著者はアメリカの大学院に1960年代に留学し、社会学研究のトレーニングを受けている。本書はその当時の経験を振り返りながら、社会科学領域の研究方法、特に、問題をどのようにたて、理論と経験的事実をどのように結びつけ、いかにして科学的に説明を行うのかという社会科学研究のプロセスについて、実際の研究事例を取り上げながら説明している。
 多種多様な要因が複雑に絡み合う社会現象をどのようにして分析・解読するのかという社会科学の方法論は、1960年代から70年代の日本の大学では十分なものではなかったらしい。著者はそこで、社会現象の概念的把握の方法や理論構築・検証の方法について、基本的な内容を記した書物の必要性を痛感した。アメリカの大学院におけるトレーニングの過程で経験した様々なエピソードを交えながら、研究の方法論がテンポよく語られている。
 もちろん、この本は出版されてから長い時間が経過しており、内容には古い点もある(例えば、サーヴェイ・リサーチのデータを、今日のような統計ソフトウェアではなくデータ・カードで処理するところなど)。しかし、内容の本質は現在においても全く価値を失っておらず、導入書として最適であると考える。
 このように書くと、この本は社会科学の研究者を目指す人のための書物のように思われるかもしれない。しかし、大学という教育機関において、社会・経済現象を把握・理解する力を身につけたいと思う全ての学生諸君に対して、この本は有益な示唆を与えてくれるものと確信する。特に、卒業論文を現象の単なる実態記述に終わらせたくない人には是非読んでもらいたい。また、日常や仕事上で発生する様々で複雑な問題を整理し、理解し、そして解決法を導くための思考力を養う上でも有益な一冊であると思う。

創造の方法学

所在 指定図書記号 請求記号 資料ID
本館開架 教員推薦 301/Ta 46 006001078
教育授業用参考図書   081/Ko 19/553 102002327

『最後の授業 ―僕の命があるうちに』  ランディ・パウシュ/ジェフリー・ザスロー 著

田中 勝也(経済学部環境総合研究センター・経済学科)

 この本は発売当初(2008年初夏)に大きな話題となったので、ご存じの人も多いと思います。その一方で、実際に読んだ人が身近では案外少なかったので、この場を借りて簡単に紹介したいと思います。この本の著者は米国カーネギーメロン大学のランディ・パウシュ教授、46歳(執筆当時)。人生はまだ当然のように続いていきそうな世代ですが、ある日医者から末期の膵臓ガンで余命3ヶ月~半年と宣告されます。突然目の前に迫ってきた人生の幕切れと向き合う中で、彼は大学での最終講義をおこないます。彼が選んだテーマは専門のコンピュータ科学ではなく、「子供の頃からの夢を実現する方法」でした。
 講義の内容について、ここでは詳しく触れないでおきます。YouTubeに講義全編の動画(日本語字幕付き)が公開されているので、まずはそちらを見てみてください(無料ですし)。最後の部分で大どんでん返しがあるのですが、これも自分の目で確かめてください。
 講義を見て多少でも何かを感じた人は、ぜひこの本を手に取ってみてください。内容は「最後の授業」の内容とその補足、そして著者が講義では語らなかった病気や家族のことなどプライベートにも踏み込んだものとなっています。
 講義・書籍とも、終始一貫して悲壮感というものをまったく感じさせません。時には冗談を交えながら、子供の頃からの夢を忘れずに人生をより良く送ることの大切さが強調されています。その内容は世代を問わず、誰でも何かしら考えさせられるものがあると思います。それがこの本を推薦する理由です。
 最後に、この本の共著者(ジェフリー・ザスロー)について少し触れたいと思います。彼はウォールストリートジャーナルの専属記者で、最後の授業に「たまたま」潜り込んでいたことが、この本が日の目を見るきっかけになっています。最終講義は400人余りの聴衆だったそうですが、様々な言語に翻訳された書籍を通じて、最後の授業は今も多くの読者に影響を与えています。また、YouTubeで講義を見た人はこれまでに2,500万人を超えているそうです。新旧メディアが持つ大きな力を感じずにはいられません。

最後の授業 ―僕の命があるうちに

所在 指定図書記号 請求記号 資料ID
本館開架 教員推薦 289.3/P 28 008001843

『沖縄「戦後」ゼロ年』  目取真 俊 著

谷田 博幸(教育学部国際理解教育コース)

 ここ十数年というもの、毎年夏になると日本最南端に位置する石垣を中心とした八重山の島々を訪れている。初めのうちこそ南の島だ、楽園だ、などと「ちゅらさん」ブームさながらに浮かれナイチャーぶりを発揮していたが、そういう鈍感なわたしにとっても、いつしか沖縄という場は、ヤマトゥがウチナーに強い続けている不当な現実というものについて考えることなしに能天気に訪れることのできるところではなくなっていった。時代を遡れば、島津の侵攻(1609)以降、実質的に薩摩藩の支配下に置かれ、明治に入っては1879年武力によって強制的に沖縄県として大日本帝国に編入され(所謂「琉球処分」)、さらに先の大戦では本土防衛の捨石として唯一地上戦を戦わされて言語に絶する悲惨な犠牲を強いられたかと思えば、戦後は戦後であっさりと20年もの間アメリカに売り飛ばされ、1972年の復帰から30年余りたった今も、沖縄島に日本全土にある在日米軍施設の75%が集中するといった非道極まりない不公平を忍ばされている。もし仮に、日本に米軍基地が必要であるならば(わたしは決して必要とは思わないが)、言うまでもなく、基地の負担は全国の都道府県そして全国の日本国民が均等に負担すべきなのだ。しかるに沖縄の強いられている不公平は今もって一向に是正される気配はない。
 この本を推薦図書に挙げるのは、一人でも多くの若い諸君にそうした「内国植民地」に等しい処遇を受け続けている沖縄の現実を知り、日本の国民の一人として一体何ができるのかを真剣の真剣に考えてもらいたいがためだ。著者の目取真俊は、1997年『水滴』で第117回芥川賞を受賞した沖縄の小説家だが、本業の小説のみならず、新聞への寄稿や評論を通してウチナーからヤマトゥを撃ち続けている今最もラジカルな論客の一人と言ってよいだろう。本書もタイトルに明らかなように、目取真が言いたいのは、沖縄の「戦後」はまだ始まってもいない、それは何故なのだ!ということだ。沖縄を知る第一歩として、まず虚心に目取真の言葉に耳を傾けて欲しい。そして、できれば続けて彼の小説『虹の鳥』(影書房、2003)や時評集『沖縄/草の声・根の意志』(世織書房、2001)、『沖縄/地を読む 時を見る』(世織書房、2006)へと読み進めていってくれるよう心から願わずにはいられない。

沖縄「戦後」ゼロ年

所在 指定図書記号 請求記号 資料ID
教育開架   219.9/Me 14 107000597
本館開架 教員推薦 219.9/Me 14 008000080

『竜馬がゆく』  司馬 遼太郎 著

中田 実(経済学部社会システム学科)

 「竜馬」とはいうまでもなく、皆さんご存じ明治維新の最大の立役者の一人である「坂本龍馬」のことである。
教育者の一人として誠にお恥ずかしいことだが、私は余り読書する方とは言えない。理由はと聞かれると、携帯もメールと検索くらいしかしないので、ネット人間だから。。。といった今時の理由はあてはまりそうにない。本や資料を読むことが仕事のようなところもあるので、息抜きといえばもっぱら音楽で、読むという行為は余り気晴らしにはならないから、というのがとりあえずの言い訳といったところである。
 とはいえ、気に入った本を持って布団に入ることはちょっとした楽しみでもある。これまでは『ノルウェイの森』や『海辺のカフカ』の村上春樹などが好きで読んでいたのだが、何か他にないかと思っていたところ、ある同僚の先生から司馬遼太郎の歴史小説を薦められた。入試も世界史と政治経済で受験し、高校時代の不勉強もたたって正直日本史には興味が薄かった。しかし、留学時代に外国の人から日本の歴史について聞かれて、やはり知っておくべきかという思いもあったので、最初は半信半疑だったが読んでみた。内容的には、故郷の高知から剣術修行のため江戸に渡って免許皆伝になったある青年が、地元に戻って道場を開くでもなく、何か別の道がないかと模索していたところ、時代の波に飲み込まれて、いつの間にやら明治維新の立役者になっていた、というものである。いわゆる歴史小説であるが、人物描写が生き生きとしていて、これが実におもしろい。
 江戸末期、幕府対倒幕派とが争う中で、当時の憂国の志士のご多分に漏れず、外国人を追い出して幕府を倒す「攘夷倒幕」論者の一人であった竜馬が、幕府の高官勝海舟と談義しに行ったところ、刻々と変化する世界情勢に照らせば、むしろ開国して日本を繁栄させるべきなのだ、と論破され、その場で「開国倒幕」論者に鞍替えし、こともあろうに敵である勝に弟子入りした場面が描かれている。既成概念を打破する上で重要なことは、はじめに感じた素朴な疑問を大事にしつつ、考え方や立場の違いを超えた多くの人たちと関わる中で、己の「こだわるべき究極の部分」と、「そうでもない部分」とを分離するということ、こうして己を深化させつつ他人に真を問うということにあるかな、などと思ったのだが皆さんはどう感じるであろうか。

竜馬がゆく 1-8

所在 巻号 指定図書記号 請求記号 資料ID
本館開架 1 教員推薦 913.6/Sh 15/1 005900873
教育学生選定 1    913.6/Sh 15/1 105000423
本館開架 2 教員推薦 913.6/Sh 15/2 005900874
教育学生選定 2   913.6/Sh 15/2 105000424
本館開架 3 教員推薦 913.6/Sh 15/3 005900875
教育学生選定 3   913.6/Sh 15/3 105000425
本館開架 4 教員推薦 913.6/Sh 15/4 005900876
教育学生選定 4   913.6/Sh 15/4 105000426
本館開架 5 教員推薦 913.6/Sh 15/5 005900877
教育学生選定 5   913.6/Sh 15/5 105000427
本館開架 6 教員推薦 913.6/Sh 15/6 005900878
教育学生選定 6   913.6/Sh 15/6 105000428
本館開架 7 教員推薦 913.6/Sh 15/7 005900879
教育学生選定 7   913.6/Sh 15/7 105000568
本館開架 8 教員推薦 913.6/Sh 15/8 005900880
教育学生選定 8   913.6/Sh 15/8 105000429

『奇想の系譜』  辻 惟雄 著

中村 史朗(教育学部言語教育コース)

 本書は、日本近世において異彩を放った六人の画家を取り上げ、彼らを「奇想」のキーワードで括り、各々の為人ひととなりと作風を精彩にとむ筆致で紹介したものです。伊藤若中、曽我蕭白らは、数十年前までさほど注目される存在ではありませんでしたが、今日では大いに支持を受け関係の展覧会が頻繁に催されています。本書はその火付け役を果たしたと言えるでしょう。
 「鬼面人をおどす」という言葉がありますが、これらの画人はいずれも奇抜で斬新な作風を身上としています。思わず吹き出すようなユーモアあふれる着想から、目を覆いたくなるようなグロテスクな表現まで、画家は常に見るものの意表をつくかたちでえがきつづけました。非日常を具現化した作品群は、成熟しつつあった町衆の文化に迎えられ、広く流通するまでになります。ただ、それらは主流を形成する正統の画と対置されて存在したと言うべきかもしれません。彼らはみな伝統的な技法に習熟していましたが、正攻法の作品をえがくことはありませんでした。ひとしく停滞する古典主義に飽きたらないものを感じていたようですが、それを打破するというよりひっくり返しにして見せるような柔軟さで制作を展開します。高度な古典技法を駆使しながら、”ありえないもの”を画面上の現実としました。その背景には、冷静な批評眼、旺盛なサービス精神、格別の偏執があったでしょう。著者は、画家の姿勢は異色ではあっても異端ではないとし、六人の立ち位置を「<主流>の中での前衛として理解されるべきである」と説明しています。こうしたつくり手のあり方に私は大きな刺激を受けました。
 私は書道が専門なので、日々試行錯誤の中で作品をつくっています。書道では、ことばを素材として表現することから、歴代の名筆をよく見て習うという学習法が重視されます。古格を踏まえて書くことは大切なのですが、昔の人の風で書けるようになっても、そのことだけでは充たされないものを常々感じています。すなわち書きぶりの中に何らかのかたちで”いま、ここのわたくし”が示されないかぎり、それは作品と称するに足りないのではないか、と。本書に接してそんな思いを多少整理できるようになりました。古典を習う態度や方法を自分なりに工夫するようになり、学書法に幅が生まれたように思います(作品に結実するにはまだ時間が要るようですが・・)。
 眼で見て「ええなあ」と感じたことを記述するのは容易ではありませんが、本書では、対象に詳細な考証を加えるとともに、あわせて驚きや感興の高ぶりがたくみに文章化されています。豊富な図版と合わせて通読するとホンモノに接したい衝動に駆られます。世に出て四〇年になろうとする書ですが、再読しても新鮮さがのこり、美術史の名著にとどまらない力を秘めた書であることを痛感しています。同じ著者の『奇想の図譜』、『幽霊名画集』(いずれもちくま学芸文庫、後者は著者監修)も本書の姉妹編ともいうべき内容で一読をお薦めします。

奇想の系譜

所在 指定図書記号 請求記号 資料ID
教育授業用参考図書 美術教育 721.025/Ts 41 105000849
本館開架 教員推薦 721/Ts 41 008003099