皆さま、御卒業まことにお目でとうございます。本日、滋賀大学を卒業または修了し、本学を巣立ってゆかれる皆さま方の門出を、御来賓の皆さま方、本学の教職員、そして在学生の諸君とともに、心からお祝い申し上げます。

 本年度は、教育学部242名、大学院教育学研究科修士62名、特別支援教育専攻科16名、経済学部591名、大学院経済学研究科修士40名、博士後期課程1名の総計952名の卒業生・修了生に対し、学位・修了書を授与することができました。

 学部を卒業される皆さまの大部分は、1989年から91年にかけてのお生まれでしょうね。株式、土地などの資産価格が、空前にして、恐らくは絶後と思われる水準にまで高騰した、いわゆる「バブル経済期」を迎えたのは、君たちが生まれる直前、1987年から89年にかけての3年間のことでした。

 地価上昇を見込んでの戸建て住宅の買い急ぎ、「シーマ現象」と呼ばれた3ナンバーの高級車志向、空前の外車ブーム、「ジュリアナ東京」に代表されるディスコ・クラブで深夜まで踊り狂う若い男女、ブランド物の衣服やバッグの大流行、電話を数本かけるだけで数千万円の巨利を手に入れることのできた「土地ころがし」、ゴルフ場やスキー場など贅をつくしたリゾート開発、昨今の大学生諸君がうらやむばかりの売り手就職市場、値上がりを確信しての絵画、骨とう品、貴金属への投資、本業よりもたやすく利益の上がる金融商品・不動産取引にうつつを抜かす企業と資産家、三菱地所によるロックフェラー・センターの買収、ソニーによるコロンビア映画の買収、理工系学生の製造業ばなれ・金融業傾斜等々。君たちが生まれる直前の日本は、今になって振り返れば、まるで「おとぎの国」もどきだったのです。

 ある経済評論家は「汗水たらして金儲けをする時代はもう終わった。これからは、頭を使って投機で金儲けをする時代がやってくる」という、私に言わせれば、とんでもない暴言を吐いたのですが、バブル経済期に生きる人びとの多くは、この経済評論家の言説を聞いて「そうだそうだまったくだ」と思い込み、虎の子の有り金をはたいて、恐る恐る、初めての株式投資に手を染めたのです。

 バブルとは泡やあぶくを意味します。シャボン玉が必ず弾けるように、バブル経済もまた長続きしなかったのです。老若男女が享楽に明け暮れる「倫理的空白期」ともいうべき、常軌を逸した束の間の宴は、1990年の年明け早々、あえなくその幕を閉じたのです。毎朝、新聞の株式欄を見て、「今日もまた何万円儲かった」とほくそ笑む、日々是好日には、終止符が打たれたのです。

 1989年末に38,916円という史上空前の高値を付けた日経平均株価は、その後、坂道を転げ落ちるかのように下落し、地価もまた、90年をピークにして、91年以降は下落し続けています。

 賭博専門の娯楽場のことを、イタリア語でカジノと言います。イギリスの女性経済学者スーザン・ストレンジの言葉を借りれば、1980年代末の日本は「カジノ資本主義社会」だったのです。ストレンジは次のように言います。「(カジノ資本主義社会では)将来、何が起きるかは全くの運によって左右されるようになり、熟練や努力、創意、決断、勤勉がだんだん評価されなくなる。そうなると、自由な民主社会が最終的に依拠している倫理的価値への敬意が薄らぐ」と。

 汗水たらさずに投機で金儲けすることを格好よくみせ、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーのいう「プロテスタンティズムの倫理」がはぐくんだ「近代資本主義の精神」を冒涜する、20世紀末の先進諸国に蔓延した「カジノ資本主義の精神」を糾弾する、みごとな名言ではありませんか。

 20世紀初頭に、マックス・ウェーバーが「近代資本主義の精神」と呼んだのは、スーザン・ストレンジのいう「熟練や努力、創意、決断、勤勉」にほかなりません。戦後の日本で、町工場をハイテク企業に衣替えさせた企業家たち、そして中学を卒業してのち、北海道、東北、中部、九州、四国、中国地方から、集団就職列車で、東京圏、中京圏、京阪神に送りこまれ、就職先の工場や商店で懸命に働いた、15歳になったばかりの若者たちは、いずれもウェーバーのいう「近代資本主義の精神」の持ち主だったのです。

 2000年3月から2005年12月まで、毎週火曜日の午後9時15分から放映されたNHKの「プロジェクトX~挑戦者たち~」は、戦後復興期から高度成長期にかけて、新製品の開発やインフラ建設に精魂を傾けた、その多くは無名の、技術者たちの挑戦と努力を描いた、定評の高い名番組でした。高い報酬を当てにするわけではなく、また名声を勝ち得んがためでもなく、一途に努力する挑戦者たちの姿は、バブル崩壊後、約10年をへた時機、高度成長期を回顧する視聴者の深い感動を誘いました。

 他方、80年代後半、マネー談議に明け暮れ、株式や土地への投機にいそしみ、汗水たらすことを蔑視する拝金主義者たちの心の底に宿っていたのは、スーザン・ストレンジのいう「カジノ資本主義の精神」以外の何物でもなかったのです。

 90年代に入り、高級官僚や企業経営者の金銭がらみの不祥事が、次つぎと明るみにだされたのは、拝金主義の横行する「金ピカの80年代」に、彼らの倫理感覚が麻痺していたせいではなかったでしょうか。

 さて、1991年3月、バブル崩壊不況に突入してのち、日本経済の成長力が著しく鈍化し、日本の製造業の国際競争力が弱まったばかりか、政治・外交、学術・科学、教育、文化、芸術、スポーツなど、ほとんどありとあらゆる分野で、日本そして日本人のプレゼンスが、往年にくらべて、格段の低下を示したのは、質素倹約、質実剛健、真面目、勤勉、努力など、日本古来の徳目のことごとくが、バブル経済期に、死語同然と化してしまったからではなかったでしょうか。

 バブル経済期の負の遺産がもたらした災厄は、とりかえしのつかぬほど深刻だったのです。鈍化した経済成長率は、反転の兆しをいささかたりともみせぬまま今日に至っています。「失われた20年」という言葉があります。1991年3月にバブル崩壊不況が始まり、以来、ちょうど22年を経たわけですが、その間の経済成長率は、実質で平均年率0.9%、名目で平均年率マイナス0.2%といった具合に、日本経済は、長期にわたり停滞そして物価と賃金の下落すなわちデフレを続けています。

 とりわけ、日本の得意としてきた製造業分野では、各社とも、韓国、台湾、中国の追い上げで、予想もしなかったばかりの窮地に追いこまれています。実際、君たちが愛用するスマートフォンやタブレットの分野で、日本の電機メーカーはアップルとサムスンの挟み撃ちにあって、苦しんでいます。

 ついでに言えば、1958年から、73年にオイルショックに襲われるまでの15年間、日本は高度経済成長を謳歌していました。この間の経済成長率は平均年率で9.4%という、まことにすさまじい勢いだったのです。1980年代、日本は「経済大国」という異名を頂戴し、東アジア諸国からは、見習うべき模範として奉られ、日本型経営を学ぼうと、多くの留学生が東アジア諸国から日本の大学院に押しかけました。

 話は変わりますが、昨年12月16日の衆議院総選挙で圧勝した自民党が、3年3ヵ月ぶりに政権に返り咲きました。安倍晋三首相は、脱デフレを最優先の政策課題とし、日本銀行に対し「大胆な金融緩和」を求めました。

 マスコミが「安倍バブル」とはやしたてるほど、あっという間に、株価は40%近くも上昇し、円の対ドル交換レートは20%ほど円安に振れました。金融緩和への「期待」が、これほどまでの株高・円安を引き起こすとは、だれしも予想だにしなかったことです。

 ただし、断っておかねばならないのは、株高・円安が本格的な景気回復へと連なるか否かについては、まったく予断を許さないという点であります。

 さて、本日、滋賀大学をご卒業される皆さま方の大部分は、経済成長を知らない、そしてインフレも知らない世代です。おかげで、就職にはさぞかし御苦労なさったかとは思いますが、日本経済再生のために、是非とも君たちには、熟練や努力、創意、決断、勤勉といった「近代資本主義の精神」の持ち主になって欲しい。

 ひょっとすると再び膨れ上がるかもしれない安倍バブルに悪乗りして、「カジノ資本主義の精神」に逆戻りされないことを、心より祈念いたします。

 小中学校の教諭になられる方々には、質素倹約、質実剛健、努力、創意、決断、勤勉の価値を、子どもたちに丁寧に教えてあげてください。20年余り前に、この国が通過した「倫理的空白期」の再来を防ぐためには、マックス・ウェーバーの言う「近代資本主義の精神」を小中学生の心の中に埋め込むことこそが、何よりも肝心なことなのです。よろしくお願いいたします。

 民間企業に就職される方々には、1987年から89年にかけてのわずか3年間で終わったバブル経済期に、本業を二の次に回して投機に浮かれ、91年にバブル崩壊不況に陥ってからは、20年もの長きにわたり、苦難の道を歩まざるを得なかった、多くの金融機関や会社が犯した過去のあやまちを「反面教師」として、カジノ資本主義社会の再来を防ぐようお願いして、君たちの門出を祝う学長告辞を締めくくらせて頂きます。

 改めて申し上げます。本日は、御卒業まことにおめでとうございます。

2013年3月25日
滋賀大学長 佐和隆光