中央教育審議会の大学分科会大学教育部会は、2012年3月26日、『予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ』という、長々しいタイトルの「審議まとめ」を公表した。報告書冒頭の要約部分の、更なる要約は次のとおりである。経済のグローバル化、少子高齢化、情報化など、急激で予測困難な社会変化が進展するなか、学士課程教育の質を高めることが社会的に要請されている。学生の思考力や表現力、そして知性の鍛錬により、課題の発見と解決力を身につけるよう、大学での学修を質量ともに高める必要がある、とのことだ。

 付録の「関連データ」を見て驚くのは、日米の大学生の授業以外の学修時間に実に大きな格差があることだ。日本の大学生の1週間の学修時間は、9.7(米は0.3)%が0時間、57.1(米は15.3)%が1~5時間、18.4(米は26.0)%が6~10時間、14.8(米は58.4)%が11時間以上と、日米の大学生の学修時間差はとてつもなく大きい。

 日本の大学生がかくも不勉強なのは、日本の初等中等・高等教育の在り方が、世界的に見て、いとも特異であることに起因する。大学の受験勉強が人生の帰趨を定める決め手であるという(今や崩れたにもかかわらず、未だに信じ込まれている昔の)「神話」に、多くの人びとがとらわれているから、日本の高校生の学修時間はとても長い。受験勉強に精魂を傾けて大学に入学してくる者の多くは、大学は人生の「息抜き」の場だと錯覚しているようだ。

 くわえて、日本の大学では宿題がほとんどないに等しいのだが、アメリカの大学生には、重い宿題が課せられる。文系科目なら、膨大な量の読書の宿題(リーディング・アサインメント)をこなすことを求められる。宿題を怠れば、まったく授業についていけなくなる。そればかりか、ショート・テストが頻繁にあるから、復習にも時間をかけないといけない。高校までは徹底した「ゆとり教育」に充てられるから、「知識の詰め込み」が大学での教育の狙いとされている。

 将来の職業に直結する専門教育は大学院に委ねられる。大学4年間には、主専攻(メジャー)と副専攻(マイナー)を決め、試行錯誤を経て、みずからの適性と関心の所在を探り当てる。大学での成績と全国統一試験の得点が大学院入試の決め手となるから、アメリカの大学生は死に物狂いで勉強せざるを得ないのだ。

 アメリカの小中高校では「ゆとり教育」に徹すると言ったが、その中身はというと、プレゼンテーション(人前で自分の意見を述べる)とディベート(討論)の訓練、論理的な思考力の研磨、自然、社会、文学、芸術への関心の醸成などといった、10代にしかできないことを、少人数学級で学ばせるのである。

 以上、日米の教育制度の差異について垣間見たが、私は、だんぜんアメリカの教育制度の方に軍配をあげたい。