皆さま、御卒業まことにお目でとうございます。本日、滋賀大学を卒業または修了し、本学を巣立っていかれる皆さま方の門出を、御来賓の皆さま方、本学の教職員、そして在学生の諸君とともに、心からお祝い申し上げます。

 本年は教育学部251名、大学院教育学研究科修士61名、特別支援教育専攻科10名、経済学部544名、大学院経済学研究科修士50名、博士後期課程1名の総計917名の卒業生・修了生に対し、学位・修了書を授与することができました。

 昨年は、第二次大戦後、最悪と申し上げても過言でない「悲劇」に見舞われた不幸な年でした。改めて申すまでもなく、3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0という巨大地震が東日本を襲い、間もなく押し寄せてきた大津波のせいで、補助電源を失った福島第一原発の1号機から4号機までが、レベル7の大事故に見舞われました。

 1986年に起きたチェルノブイリ原発4号機の事故もまた、レベル7と認定され、以来、四半世紀を経た今なお、半径30キロ圏内が居住禁止とされています。福島の場合も、事故が文字通り収束する、すなわち原発の近傍の市町村に居住していた方々が、もとの住まいに帰宅できるまでには、気の遠くなるほど長い時間を要することでありましょう。

 わが国では、原子力発電は「絶対安全」である、言い換えれば、原発事故はあり得ない、と言われ続けて参りました。しかし、咋年3月の大事故により、私たちは次の2つのことを教えられました。1つは、あり得ないなんてあり得ないこと。もう1つは、あり得ないがあったらどうするかの対策を、予め十全に用意しておくことが必要なことであります。

 「あり得ないなんてあり得ない」ことを思い知らされたせいか、定期検査を終えた原発の運転開始を立地道県の知事が認めず、全国で54基ある原発のうち、現在稼働しているのは、東京電力の柏崎刈羽原発6号機と北海道電力の泊原発3号機のみという有り様です。なお前者は、本日夕刻に定期検査に入り停止されます。

 昨年夏、東京電力管内の電力供給力は5300万キロワットにまで落ち込みました。他方、一昨年夏の需要のピークが6000万キロワットという高さであったため、東京電力管内の停電は避けられないかのように言われていました。ところが、幸いなことに、咋年夏のピークは、節電の効果があり、4900万キロワットに抑えられ、余裕をもって停電を回避することができました。今年の冬、とりわけ関西電力管内での停電が懸念されたのですが、原発ゼロのままで、何とか冬場を乗り切ることができました。

 咋年夏、オフィスビルのエレベータの半分が運転停止され、駅の照明やネオンの照度は下げられ、自動開閉ドアには押しボタンが取り付けられ、飲料の自動販売機の灯り、オフィスビルの窓際の天井の蛍光灯は昼間消灯されました。クールビズが徹底され、オフィスや電車のエアコンの設定温度を2ないし3度上げるなど、誰もが懸命に節電に励んだせいで、停電を回避することができたのですが、そのことの裏を返せば、いかに電力の無駄づかいをしていたのかを、私たちはつくづく思い知らされたのです。気候のよく似たイタリアと日本の1人当たり電力消費量を比べてみると、日本はイタリアの1.5倍という有り様なのです。

 原発の新増設が望めなくなった今、私たちには、ライフスタイルを節電型に改めることが切に求められているのです。菅直人前総理は「脱原発」と言い、滋賀県の嘉田知事は「卒原発」と言いました。ともあれ、電力供給に占める原発の比率、すなわち原発依存度を下げざるを得ないとの共通認識が、政治の場でも、行政の場でも、また産業界でも、定着しつつあります。

 目下、「原発をどこまで減らせるのか」を見極めるための、壮大な社会実験が進行中なのです。この実験結果を見定めた上で、今後のエネルギー政策、そして地球温暖化対策が再検討されなければなりません。

 いささか古い話になりますが、昭和31年度、すなわち1956年度の『経済白書』は、「もはや戦後ではない」という名台詞で有名な経済白書であります。1956年というと、第二次大戦後11年目の年に当たります。「もはや戦後ではない」という名台詞の意味するところは、次の通りであります。1955年、日本経済は戦前水準を回復することができました。つまり、様々な生産活動の水準が1937年、昭和12年の水準にまで回復したのです。

 白書の執筆担当者だった経済企画庁調査課長の後籐與之助は、次のように言いました。「これまでの日本経済は戦後復興というバネ仕掛けで成長してきた。戦前水準に達した今、新しいバネ仕掛けが求められている。1つは、トランスフォーメーションの日本語訳である近代化。もう1つは、イノベーションの日本語訳である技術革新である」と。

 後籐の言うとおり、確かに、20世紀は「イノベーションの世紀」でありました。のみならず、日本経済の戦後復興、高度成長、オイルショックの克服は、イノベーションに牽引されてのことでありました。なぜ20世紀の100年間にイノベーションが相次いだのでしょうか。その最大の理由は、19世紀末、人類が、石油と電力という、2つの貴重なエネルギー源を手に入れたからに他なりません。

 申すまでもなく、原子力発電所は、100万キロワットを超える巨大な出力を有するのみならず、原価に占める燃料費の割合が低く、長期間運転すれば、発電単価の安い電源なのです。その意味で、原子力発電は、「電力の世紀」である20世紀の数あるイノベーションのうちでも、1、2を争う画期的なイノベーションだったのです。とはいえ、元を質せば、原発の熱源である核分裂は大量破壊兵器である原子爆弾として実用化されたのであります。太平洋戦争中、原爆が広島と長崎に投下されました。戦後、第二次大戦の戦勝国が核兵器を保有するようになったのを受け、米国のアイゼンハウアー大統領が、1953年の国連総会において、原子力の平和利用(Atoms for Peace)を提案したのが、原子力発電のそもそもの始まりだったのです。

 1970年、大阪で万国博覧会が開催されました。その年3月に、日本原子力発電の敦賀原発1号機が運転を開始し、そして同年8月に関西電力の美浜原発1号機から万博会場に試送電され、「原子の灯がともった」と、国を挙げての拍手喝采が沸き起こりました。

 さて、本日、滋賀大学をご卒業される皆さま方の大部分が、民間企業、自治体、小中学校に4月から就職されるのでしょうが、今、君たちには、東日本大震災と原発事故に由来する、価値観の大転換が迫られていることを念頭に置いて、仕事に励んで頂きたい。

 技術革新を例にとれば、これまでの技術革新の目指すところは、より速く、より大きく、より高く、より強く、より効率的であること、でありました。他方、これからの技術革新の目指すところは、安全・安心、小規模分散化、自然との共生、再生可能エネルギーの利活用、低炭素化など、従来の価値観からすれば、「進歩」どころか「退歩」とも言うべき方向でなければなりません。教員として、企業人として、そして公務員として、君たちには、自らの生活習慣を見直し、生活の利便性と快適性を損なうことなく、可能な限りの節電に励み、勤務先の電力消費を必要最低限にまで抑制するよう提案する、という役割を果たしていただきたい。

 教育学部を卒業して小中学校の教員になられる方々には、電力を多消費しないライフスタイルが「かっこいい」という意識を子どもたちに持たせることを、御自身に課せられた責務だと心得ていただきたい。

 経済学部を卒業して、企業に就職される方々には、環境保全、省エネルギーなど、企業の社会的責任(CSR)を果たすことが、21世紀に栄える企業の責務だと心得ていただきたい。

 公務員になられる方々には、自らがパブリック・サーバントであることを自覚され、「経世済民」すなわち「世を治め、民を救う」ことを御自身の使命と心得ていただきたい。その際、限られた資源を、どう配分するのが効率的であり公正なのかを念頭に置いて、行政に当たってください。「限られた資源」には、枯渇性の化石燃料、電力、水などが含まれます。

 二酸化炭素の大気中濃度が上昇することにより、地球温暖化と気候変動がもたらされることは、皆様方、先刻ご承知のはずです。少なくとも、ここ日本では、原発の新増設が、二酸化炭素の排出削減のための「切り札」であるかのように言われて参りました。

 これからは、「減原発」の下での地球温暖化対策、すなわち気候変動緩和策が講じられなければなりません。電力供給に占める原発比率の低下を補うのは再生可能エネルギーと火力発電でしかあり得ないのですから、「節電」の二酸化炭素排出削減効果は、これまでにも増して大きくなります。省エネルギー、なかんずく節電に率先して励むことが、この国の未来を担う君たちに求められているのです。原発の「安全神話」が崩壊した今、節電に勝る電源は、おいそれとは見当たりません。

 2004年、環境分野で初のノーベル平和賞受賞者となったケニアのワンガリ・マータイさんは、日本語の「もったいない」という言葉を世界に広めましたが、その意味するところは、ゴミの3R、すなわちゴミの減少(Reduce)、再利用(Reuse)、再資源化(Recycle)に加えて、かけがえのない地球資源への尊敬の念(Respect)をも意味する言葉として、今や、ローマ字で綴られたMOTTAINAIは世界共通語となりつつあります。

 福島原発事故のせいで、私たちは、大量生産・大量消費・大量廃棄の20世紀とは、否応なく、きっぱりと決別しなければなりません。「もったいない」を、環境の世紀と言われる21世紀を象徴する標語として掲げ、琵琶湖という素晴らしい地球資源に恵まれた「滋賀の都」で学生生活を過ごされた君たちには、生活の場で、また仕事の場で4つのRに心掛けていただくことを、滋賀大学長として切にお願いして、君たちの門出を祝う告辞を締めくくらせて頂きます。
本日は、御卒業まことにおめでとうございます。

2012年3月26日
滋賀大学長 佐 和 隆 光