学長

 滋賀大学は一学年約800名の小規模な大学です。規模が小さなことは短所と言えば短所、長所と言えば長所なのです。短所の最たるものは、異分野の学生同士の交わりが少ないことです。また、2つしかない学部のキャンパスの間に、時間距離約1時間の隔たりがあるため、石山と彦根のキャンパスのそれぞれが単科大学のようであるのも、短所の度合いをさらに強くしています。

 とはいえ、規模が小さいことは長所でもあるのです。なぜなら、同じ学年の学生の大部分とは顔見知りになれますし、先輩や後輩とも、課外活動の場で親しく知り合う機会に恵まれます。大学4年間に培った交遊関係は、人生の宝物の一つなのです。滋賀大学の就職率が高いのも、課外活動を通じて知り合った後輩思いの先輩のおかげなのではないでしょうか。課外活動へ参加する学生の比率が極めて高いのも滋賀大学の特色の一つです。

 私が学生諸君に言いたいことの一つは「大学在学中の4年間には、大学でしか学べないことを学んで欲しい」とのメッセージです。言い換えれば、人生において最も貴重な4年間を、俗世間とは無縁な、大学という「知の殿堂」でしか学べないことを学んで欲しいのです。君たちが4年を経て世に出れば、否でも応でも、実務の訓練を受けるのです。例えば、歴史、哲学、思想史、文学などとは、およそ縁遠い実務の「勉強」を強いられます。だからこそ、大学4年間には、「無用の学」の勉強に時間を費やするのが望ましいのだと私は考えます。

 欧州諸国では、人間の価値を測るに当たって、大切な規範の一つが人文知の有無なのです。例えば、イギリスの名門大学オックスフォードやケンブリッジで入学の一番難しい学科は何なのかというと、それは歴史学科なのです。歴史学科を卒業して、どんな職業に就くのだろうかと皆さんは訝られることでしょうが、官僚の4分の3が歴史学科の出身だそうです。大学4年間は、歴史をみっちり勉強して、法律や経済のことは就職してからオン・ザ・ジョブ・トレーニングで勉強する。これが、イギリスの官僚養成法なのです。フランスには、日本のセンター試験に該当するバカロレアという統一国家試験があります。バカロレアの合格者に対して、大学入学資格が与えられるのです。バカロレアに合格さえすれば、好みの大学に進学できます。日本のセンター試験のように知識を試す択一問題ではなく、バカロレアは哲学から数学まで、知識ではなく、思考力を試すに徹した試験なのです。とくに哲学の問題は、日本の受験生には手に負えないほどの難問です。2009年の哲学の問題は次の2問です。問1:言語は思考を裏切るか?問2:不可能を望むことは非合理か?

 イギリスやフランスでは、人文学的教養に重きが置かれるのに対し、アメリカの教育制度は、まったく異なります。小中高校では徹底した「ゆとり教育」が行われ、人前で意見を述べたり、討論したりすることの訓練、その他、10代にしか出来ないことを学ぶのです。大学の4年間に、知識の徹底的な詰め込みをやるのです。アメリカの大学に学部はなく、主専攻と副専攻を自由に選択して、自分の能力と適性を見極めたうえで、将来の職業に直結する専門職大学院か大学院に進学して、専門的職業人あるいは専門的研究者としての訓練を受けるのです。

 日本では、小中高校で知識の詰め込みをやり、アメリカよりは4年早く、大学で専門的職業人としての訓練を受けるのです。アメリカの小中高生の受ける「ゆとり」教育の成果としての表現力と討論力、欧州の高校生や大学生が授かる哲学や歴史の蘊蓄をお座なりにしてはなりません。大学4年間という限られた時間を、専門的職業人を目指しての学習と教養の学習とにバランス良く配分し、将来、外国で勤務する機会が訪れた際に、夜のパーティで、教養豊かな会話に参加できるようになられることを、滋賀大学の学生諸君に期待します。