学長

 私が滋賀大学長に就任して以来、ちょうど一年が経ちました。滋賀大学は教育学部と経済学部の二学部、そして二つのキャンパスから成る小規模な国立大学法人です。私が掲げるスローガンは二つあります。一つは、滋賀大学を魅力と活力に富んだ大学につくり変えることです。もう一つは、規模の小さなことを欠点としてではなく、小回りが利くという意味で、利点としてとらえ直し、学生諸君には滋賀大に入学してよかった、教職員には滋賀大学に職を得てよかったと思える大学にするべく、さまざまな改革を推し進めることです。

 私が滋賀大学に来て感動したことの一つは、両学部とも同窓会の活動が盛んなことです。経済学部の同窓会である陵水会の地区別年次大会には、時間の許す限り出席し、会の冒頭で講演させていただきました。教育学部の同窓会年次総会でも、学長としての抱負を語らせていただきました。とりわけ印象深かったのは、余興満載の名古屋陵水会の年次大会でした。

 滋賀大学が発足したのは昭和24年のことです。滋賀師範学校と彦根高等商業学校(第二次大戦中に経済専門学校に名称変更)が一緒になって出来上がった大学です。戦前の師範学校は授業料がタダであったため、経済的余裕のない家庭の成績優秀な子弟の進学先でした。戦前には、小学校教諭の社会的地位はとても高く、憧れの職業の一つでした。旧高商と言えば、いずこもマルクス経済学のメッカでした。というよりも、戦前の日本の経済学はマルクス一辺倒だったのです。一例を挙げれば、プロレタリア文学の旗手として知られ、治安維持法違反容疑で特別高等警察に逮捕され獄死した小林多喜二は、小樽高商の卒業生です。2008年、非正規雇用とワーキングプアの増加を受けてのことか、小林多喜二の『蟹工船・党生活者』(新潮文庫)がベストセラーになり、50万部以上が売れるという珍事が起きたことを余談として付け足しておきます。

 教育学部は小中学校の教諭を、そして経済学部は企業の事務系社員や自治体の職員を養成することを、それぞれのミッションとしています。小中学校での教育を義務教育と言いますが、戦後の日本が、戦後復興、高度成長、オイルショックの克服といった快挙を短期間に成し遂げることができたのは、日本の義務教育のレベルの高さゆえのことだったのです。1990年にバブル経済が崩壊し、91年以降、長期不況に陥り、91年度から2009年度までの実質(名目)経済成長率が平均年率0.8(0.3)%といった具合に、日本経済はまったく成長しない経済と成り果てたのです。その理由の一つとして、1987年から90年にかけてのバブル経済期に、勤勉、努力、真面目といった日本古来の徳目が置き去りにされ、義務教育のレベルが低下したことが挙げられます。このことを言い換えれば、「義務教育の建て直しなくして経済成長なし」ということになります。

 2009年9月、鳩山内閣は「コンクリートからヒトへ」を金看板に掲げて登場しましたが、日本のような無資源国にとって、経済成長の糧は人財(ヒューマン・キャピタル)でしかあり得ないのです。一見、関係なさそうな教育と経済は、以上に述べたとおり、緊にして密なる関係にあるのです。両学部は別のキャンパスにあり、キャンパス間の移動に1時間を要するというのは残念なことですが、両学部の学生諸君が教育と経済の関わり、そして21世紀の日本の行く末、そして持続可能で豊かな社会作りについて語り合う機会を数多く持たれることを学長として強く願っております。