卒業式

 皆さま、卒業おめでとうございます。本日、滋賀大学を卒業又は修了し、本学を巣立っていかれる皆さま方の門出を、御来賓の皆さま方、本学の教職員、そして在学生の諸君とともに、心からお祝い申し上げます。

 本年は教育学部255名、大学院教育学研究科修士59名、特別支援教育専攻科9名、経済学部560名、大学院経済学研究科修士55名、博士後期課程2名の総計940名の卒業生・修了生に対し、学位・修了証を授与することができました。

 さて、21世紀の「最初の10年」を終えた今、世界は大きく変わりつつあります。過去10年間、中国、インド、ブラジルなどの新興国は、すさまじい経済発展を遂げ、昨年、中国は日本を追い抜き、アメリカに次ぐ世界第2位のGDP大国となりました。のみならず、二酸化炭素の排出量においても、中国はアメリカを追い抜き、世界第1位となりました。エジプト、リビアなどでは、永年続いた圧政を排し民主化を求めて大衆が蜂起し、内乱さながらの状況に追い込まれました。いずれも「予想外」のことでした。また、去る3月11日午後2時46分に東日本を襲った巨大地震もまた、「予想外」の出来事であり、多くの犠牲者の方々には、ここに謹んで哀悼の意を表させて頂きます。

 多少、時代を遡りますと、3年前の2008年、国際金融危機が勃発し、同年9月、大手投資銀行リーマン・ブラザーズが倒産し、それをきっかけにして、世界は深刻な同時不況に陥りました。アラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)前議長は、かの国際金融危機を「100年に1度のことが起きた」と表現しました。つまり、グリーンスパンは「滅多に起きないことが起きた。これは予測不可能なことだった」と弁明したのです。

 その前の年である2007年に、ウォール街のトレーダーであると同時に、確率論学者でもあるナシーム・ニコラス・タレブの著書『ブラックスワン』が刊行されていました。「ほとんど起こり得ないけれども、起これば大きな影響を及ぼす事象」のことを、タレブはブラックスワンに例えたのです。 なぜブラックスワンなのでしょうか。もともと欧州では「スワンは赤くて長いくちばしと長い首を持つ白い水鳥である」と確信されていたとのことです。ところが、1770年、スコットランド人のキャップテン・クックがオーストラリア大陸のシドニーに上陸し、領有を宣言し、入植が始まりました。入植者が驚いたことの一つは「黒いスワン」がオーストラリアにいることだったのです。「あり得ないと思っていたこと、すなわち予想外のことが現に起きた」のです。黒い白鳥、すなわちブラックスワンの語源は、そこまでさかのぼるのです。

 ところで、私こと、週日の毎朝、滋賀大学への出勤途上に、彦根城の外堀沿いの道を車で通るのですが、外堀にブラックスワンがいるのを見て、あっと驚きました。赤くて長いくちばしの先の方が白く、羽の色以外は、大きさといい姿かたちといい、同じ堀に棲むホワイトスワンとまるでそっくりなブラックスワンが、堀を颯爽と泳いでいるではありませんか。なぜ彦根城の外堀に「こくちょう」と呼ばれるブラックスワンがいるのかと訝り、彦根市の観光局に問い合わせたところ、次のようなことが分かりました。

 先刻、皆さま御承知のとおり、安政7(1860)年3月3日、彦根藩主の井伊直弼大老は、水戸藩脱藩浪士により暗殺されました。いわゆる「桜田門外の変」です。以来、明治維新後になっても、彦根藩士の水戸藩士への怒りは治収まるところを知らず、折に触れて、両藩のいさかいは跡を絶ちませんでした。1871年の廃藩置県を経た後も、彦根市と水戸市の不仲は続いたのですが、両市が和解し、親善都市協定を結んだのは、1968年、皮肉にも、井伊直弼の曾孫の井伊直愛様が彦根市長を務めておられた時のことでした。

 協定の証として、彦根城の堀に棲む白鳥が彦根市から水戸市に贈られ、梅の苗木が水戸市から彦根市に贈られたとのことです。その後、1987年、世界古城博覧会が彦根城で開催された際に、ブラックスワン4羽が水戸市から彦根市に贈られ、以来、彦根城の外堀をブラックスワンが泳ぐようになったとのことです。では、なぜ水戸にブラックスワンがいたのかを調べてもらったら、1978年、山口県宇部市のときわ公園から、水戸市偕楽園に贈られた2羽のブラックスワンが、偕楽園の千波湖に棲むようになったとのことです。では、なぜ宇部市のときわ園にブラックスワンがいるのかとの謎は、宇部市がオーストラリアのニューカッスル市と姉妹都市であることにより解くことができました。

 経済学部を卒業なさる諸君、経済学研究科を修了なさる諸君は、私の話を聞いて、そう言えば、彦根城の外堀にブラックスワンがいたな、と思ってらっしゃることでしょう。でも、恐らく大部分の諸君は、ブラックスワンを見ても、「予想外のことが起きた」と驚いたりはしなかったでしょうね。

 いささか余談とはなりますが、西欧的なものの見方と日本的なものの見方の違いを、そこにはっきりと読み取ることができます。オーストラリア大陸で見た鳥を、欧州の人びとは「黒い白鳥」という予想外の事象としてとらえたのです。他方、水戸市から彦根市に贈られてきた同じ鳥に、日本人は「黒鳥」という名前を与えたのです。つまり、姿かたちは白鳥とそっくりそのままだが、羽の色が黒い鳥を、「黒い白鳥」とは見ずに、別種の珍しい鳥として見て、「黒鳥」と名付けたのです。ということは、黒い白鳥を見ても、日本人は「意外」、「予想外」との印象を抱かなかったのです。こうした日本人と欧州人の認識上の差異は、タレブの言う「プラトン性」の有無に由来するのだ、と私は考えます。プラトンは、ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師である、紀元前5世紀から4世紀にかけての古代ギリシャ哲学者であります。プラトン性とは、いわゆるプラトンの「イデア論」に端を発する、近代西欧の思想であります。すなわち未来永劫、変わることのない、かっちりした「型」なり「枠組み」なり、すなわちイデアを与えて、物事を定義することを意味します。

 プラトン性を認識の前提に据える欧州の人びとは、白鳥(スワン)とは、先の長い赤いくちばしをもち、首が長く、羽の色が真っ白な水鳥であるとの「型」に凝り固まっていたのです。実際、数千年にもわたり、何百万羽の白い白鳥を観察し確認してきた、当たり前の事実、すなわち「型」が、たった一つの観察結果により、完全に覆されてしまうという「衝撃」に出くわしたのです。

  プラトン性に毒されていない日本人は、生来の融通無碍な気質を生かして、ブラックスワンを初めて見たからといって、せいぜい「珍しい鳥がいるな」と思うくらいで、べつだん衝撃的と受け止めたりはしなかったのです。日本が多神教の国であること、明治維新までの日本に「科学」が育たなかったこと、そして政治や経済の場で「理念」が欠如していることなどのいずれもが、日本人の非プラトン性に由来するものだ、と推察されます。

 私たち人間は、過去の経験を先に伸ばし、平穏な未来を予測する、まるでアメリカの七面鳥のようなものだ、とタレブは言うのです。養鶏場で生まれたときから、ずっと美味しいエサを食べさせられ、日々の幸せ(?)を満喫していた七面鳥にとっては、それがまさしく「日々の法則」だったのです。ところが、アメリカでは、11月の第4木曜日の感謝祭の前日の午後になって、「突如、首を絞められる」という思いもしなかったことが、七面鳥に襲いかかるのです。これぞまさしく、七面鳥にとってのブラックスワンなのです。アラン・グリーンスパンFRB前議長がいみじくも指摘したとおり、2008年の国際金融危機は、起こるはずがないと思っていたのに起きた、100年に1度の珍事、すなわちエコノミストにとっては、想定外のブラックスワンだったのです。

 タレブは国際金融危機を前もって予言した、との「誤解」のおかげで、その著書『ブラックスワン』は世界的なベストセラーとなりました。なぜ「誤解」なのかというと、タレブが言わんとしたのは、経済予測は当たるはずがないということだったのです。タレブは次のように言っています。「将来を左右する大きなことで予測に頼るのは避けるべきである(中略)経済の予測をする連中や社会科学系の予想屋の言うことを真に受けてはいけない(あいつらは芸人なのだ)」と。

 近著の中でタレブは、次のように言っています。「2008年の国際金融危機にはいろんな側面があったけれど、少なくともそれはブラックスワンではなかった。あれはブラックスワンという事象に対する無知――そして無視――の上に築かれた「金融システムの脆さ」が現れただけなのだ。無能なパイロットが操縦する飛行機ならいつか墜落するなんて、ほぼ間違いなくわかりきっているではないか」と。つまり、2008年危機は、複雑怪奇な金融商品が出回る金融システムの脆さゆえのことであり、いつかは必ず崩壊することはわかりきっていたのだが、「いつ、どれくらいの規模で」という予測は、だれにもできなかったのです。

 さてそこで、間もなく社会人になられる君たちに忠告しておきたい。ブラックスワンの襲来は予知できないのだから、悪いブラックスワンに出くわした際に被る悪影響を最小限に食い止める、ロバストネス(頑健性すなわち強かさ)を予め備えておかねばなりません。

 小中高校の教員になられる方、公務員になられる方は、意識してかしないでか、最初から、ロバストな職業選択をなさったのかも知れません。そういう方には、次のことを心得て頂きたい。ロバストであることの代償として、教員になられる方には、次世代の担い手を教育するという、自らに課せられた重責を自覚するともに、一生のうちに何度か出会うブラックスワンに対して頑健・頑丈になるよう、教え子たちに諭して頂きたい。公務員になられる方には、世のため人のために働く「公僕」としての意識を忘れず、ブラックスワンの襲来に備える、頑健な社会システムの設計に努めて欲しい。民間企業、とりわけ金融業界に進まれる方には、いつブラックスワンに襲われても、それをはねのけるだけのたくましさ、すなわちロバストネスを、君たち自身にも、そして就職先の企業にも備えるよう、創意工夫を凝らして頂きたい。

 滋賀大学は、環境とリスクを、主要な研究課題に掲げています。私にとって最初の卒業式告辞に当たり、リスクについてお話させて頂きました。ブラックスワンの襲来に対し頑健・頑丈であることは、リスク管理にほかなりません。ブラックスワンを暗示する日本古来の諺がいくつもあります。例えば、「備えあれば憂いなし」、「災い転じて福となす」、「君子危うきに近寄らず」、「触らぬ神にたたりなし」、「石橋を叩いて渡る」などです。さすがに昔の人は賢かった、偉かったと思うのは、私のみではありますまい。

 君たちには、社会人となられてから、折に触れて、彦根城外堀に棲むブラックスワンのことを想い起して欲しい。そして君たちが、予想外・想定外ブラックスワンの襲来に対して、頑健・頑丈な人生を送られることを、滋賀大学長として心より願います。

 本日は御卒業まことにおめでとうございます。

2011年3月25日
滋賀大学長 佐和 隆光