新入生の皆様、入学おめでとうございます。本日、教育学部253名、経済学部609名、大学院教育学研究科修士課程60名、大学院経済学研究科博士前期課程56名、大学院経済学研究科博士後期課程7名、特別支援教育専攻科9名の新入生を迎えて、彦根市長様をはじめとする来賓の皆様方、また父兄の方々のご列席の下、入学式を挙行できますこと、心よりお喜び申し上げます。

 さて君たち新入生諸君の多くは、将来、小中高校の教員になることを目指して、あるいはエコノミストすなわち経済学の専門家を目指して、滋賀大学に入学してこられたものと推察いたします。君たち新入生の大部分は、20世紀の「最後の十年」の最初の年度である1991年度に誕生されたはずです。その君たちが、21世紀の「最初の十年」の最後の年度である、2010年度に、大学の新入生となられたわけであります。
 ところで、日本経済の調子が優れなくなったのは、すなわち、日本経済の健康の尺度である諸々の指標が下降線を辿りはじめたのは、実のところ、君たちの多くが生まれた年である1991年3月のことなのです。以来、20年弱を経た今、日本経済は停滞の極みにあります。

 皆さん、国内総生産(GDP)という言葉をご存知でしょうか。個人や会社が一年間に儲けたお金の合計、あるいは支出したお金の合計のことを、国内総生産と言います。1958年7月から1973年10月までの15年間余り、日本経済は、今にして思えば、信じられないばかりの華々しい高度成長期を謳歌いたしました。当時は物価が上昇していましたから、物価上昇分を差し引いた、高度成長期の実質国内総生産は平均年率9・4%という高い成長率を記録いたしました。ありていに言えば、日本人の所得は、平均年率10%近くの勢いで上昇していたのです。
 高度成長期に終止符を打ったのが、ほかでもない1973年10月に襲来したオイルショックであります。石油の値段が、わずか数ヵ月のうちに4倍高になるという、晴天に霹靂の大惨事に見舞われたのです。石油の99%を輸入に頼る日本の経済は、奈落の底に追いやられたかのように見え、日本経済の前途には、暗雲が垂れ込みました。しかし、その後、日本経済は石油の高価格化にもめげず、欧米先進諸国の経済成長率、すなわちGDPの成長率が2%台に低迷する中、日本のそれは4%前後を維持することができたのです。以上に述べたとおり、世界を驚嘆させるばかりの高度成長を成し遂げ、オイルショックを克服したのは、わが国の優れた初等中等教育のおかげだと言われております。なんと申しましても、日本は無資源国であります。日本の持つ唯一の資源は、人材、難しく言えば人的資本なのです。日本の初等中等教育が優れているからこそ、1960年代には日本の高度成長の「担い手」として振る舞い、70年代にはオイルショックという戦後史上空前の危機を乗り越える立役者として振る舞った、勤勉で有能な勤労者が育ったのだ、というのが通説であります。長らく、日本の教育制度は世界の模範だったのです。
 君たち学部新入生の多くが生まれた年の数年前、大学院新入生が生まれて間もない1987年から90年にかけての4年間のことを「バブル経済期」と呼ぶならわしです。地価や株価が天井知らずの勢いで高騰したのがバブル経済期だったのです。バブルとはシャボン玉のことですから、必ず弾ける運命にあるのです。事実、株価は1990年に入るや否や、そして地価は91年以降、下落の局面を迎え、地価と株価の双方が、未だに低迷状態を続けています。
 バブル経済期には、 電話を2、3本かけて土地を転がしたり、株の売買をしたりするだけで、一滴の汗水をも垂らすことなく、お金儲けができるという、ひと昔前までは聞いたことのなかったような話が、そこかしこから、まことしやかに聞こえてくるようになったのです。
 こうした時代風潮の移り変わりは、若者たちの意識を変え、日本古来の徳目であった勤勉、努力、真面目、誠実といった言葉は死語同然と化してしまったのです。かつては褒め言葉の一つとされていた「努力家」という言葉は、バブル経済期を経てのちは、軽蔑の意味合いを込めて使われるようにさえなったのです。「学級崩壊」などといった現象が頻発するようになったのも、こうした経緯を経た挙げ句のことだったのです。

 教育学部そして教育学研究科への新入生諸君に申し上げたい。今日の日本にとっての喫緊の課題の一つが「教育の再建」なのです。教育の担い手を目指す君たちにとっての最大の使命が、ほかでもない「教育の再建」なのです。そして君たちが「世のため人のため」になろうとするのなら、小中高校の教員の果たす役割は、何物にも増して重いと同時に、この国を20年来の閉塞状況から解き放つために、必要にして不可欠な役割を君たちが担うことを、肝に銘じておいていただきたい。君たちは、それぞれ、専門の科目についての知識を習得するのみならず、「教育の在り方」について友と語らい、師と論じ合い、初等中等教育の教員として、その理想を追求する心構えの持ち主になっていただくことを願いたい。

 次に、経済学部および経済学研究科の新入生諸君に対して、私は次のように言いたい。君たちが尊敬されるエコノミストになろうとするのなら、「望ましい」社会経済の設計者を目指して欲しい。社会の善し悪しをはかる二つの指標があります。
 そのうちの一つは「効率」であります。一言でいえば、できるだけ無駄を省くこと、同じ効果を期待するのなら、できるだけ安い費用で、費用に制約があるのなら、できるだけ効果を大きくする。これが常識的な意味での「効率」ないし「効率性」であります。
 確かに、石油を始めとする地下資源は有限です。気候変動に伴う、食糧の収量の減少も懸念されます。地下資源にせよ食糧にせよ、それらを効率的に利用すること、すなわち無駄遣いしないことが望まれます。
 もう一つの指標は「公正」であります。公正な社会とは、「排除」されるもののいない社会を意味します。排除の典型例は失業です。働きたいという意欲を持ちながら働く場から排除されているのが失業者にほかなりません。世界同時不況の煽りを受けて、昨年7月には、わが国の失業率は5・7%にまで高まり、アメリカのそれは10・2%にまで高まりました。失業率の高くない、排除されるものの少ない社会を目指すのが、公正を重んじる立場なのです。

 効率的で公正な社会が理想なのですが、効率と公正は、ともすれば矛盾をきたしがちなのです。2001年4月に発足し、その後、5年余りにわたり一世を風靡した小泉純一郎内閣は、効率を重んじる、したがって公正を二の次に回す改革を断行いたしました。国立大学の法人化、郵政三事業の民営化、労働者派遣の自由化、公共事業予算の縮減、官から民への事業の委任などの施策が、小泉構造改革の名のもとに断行されました。さて、小泉構造改革は「効率を公正よりも重んじる」改革だったのですが、総じて言えば、強者に与し、弱者を虐げる改革であったと言わざるを得ません。
 だからと言って、小泉元首相のおやりになった改革を全否定するのは、間違いだと言わざるを得ません。効率と公正のどちらをどれだけ重んじるのかは、それぞれの価値判断ないし思想に応じて決まることなのです。私自身は、小泉構造改革そのものには批判的であるとはいえ、小泉改革の思想的首尾一貫性については、賞賛を惜しみません。話がいささか迂回いたしましたが、価値判断の基準をしかと身に付けることもまた、大学で経済学を学ぶことの意義のひとつなのです。

 19世紀後半から20世紀初頭までの四半世紀間の長きにわたり、イギリスのケンブリッジ大学の経済学教授職を務めたアルフレッド・マーシャルは、教授就任公開講座で、次のように言いました。「社会的苦悩を克服するために、自らの最善の能力をすすんで捧げようとする『冷静な頭脳と温かい心情』を持つ人びとの数を一人でも多くすることが、私の念願である」と。「冷静な頭脳と温かい心情」をもつ教え子を世に送り出すことを、マーシャルは自らの使命と考えていたのです。「冷静な頭脳」とは「効率」に通じます。そして、「温かい心情」とは「公正」に通じます。
 君たちも、その名を知っているはずの、20世紀で最も偉大な経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、自らの師であるマーシャルについて次のように書いています。「マーシャルの教え子は、いつも、世の中で最も興味深い重要な航海に乗り出したのだという、並々ならぬ気概を抱いて、またマーシャルの本棚にあった持ち切れないほどたくさんの本を抱えて、ここに生涯をかけるにふさわしい研究テーマがあるのだと確信して、マーシャルの研究室を後にした」とのことです。古き良き時代の心温まる逸話ではないでしょうか。
 君たちに「何のために経済学を学ぶのか」と私が問うたとき、「お金儲けのため」という答えの返ってくることがないことを、私は心から願いたい。経済学は「社会的苦悩を克服するために自らの能力を捧げる」に足る学問なのです。言い換えれば、「のぼせあがった頭脳と貪欲な心情」の持ち主に金儲けの手立てを教えるのが、経済学であるなどと誤解しないでください。

 最後に、君たちもよく知る吉田兼好の『徒然草』からの引用文により、君たち新入生を迎える私の祝辞を締めくくらせていただきます。「名利に使われて、閑かなる暇なく、一生を苦しむことこそ、愚かなれ」。
 1992年秋、ドイツ文学者の中野孝次さんの『清貧の思想』がベストセラーになりました。中野さんは「かつて日本にあった清貧という美しい思想」を教えるバイブルのひとつとして吉田兼好の『徒然草』を挙げておられます。中野さんの解説をそのまま引用させてもらいましょう。「世俗的な名誉とか地位とか財産とかに心を労して、静かな人生を楽しむ余裕もなく、一生をあくせく暮らすなどは実に愚かだとする考え方は、その後の江戸時代を通じて、日本人の生活に大きな影響を与えてきました」。
 先に申し上げた1987年に始まるバブル経済期に至るまで、大部分の日本人は「清貧の思想」の持ち主だったのです。質素倹約、質実剛健は美徳、カネのことを口にするのは卑しい、と考える日本人が多かったのです。2004年にノーベル平和賞を受賞したケニアの環境保護運動家ワンガリ・マータイさんは、日本語の「もったいない」をローマ字綴りにして世界共通の用語にしようと提唱しています。
 これも先に申し上げたことの繰り返しになりますが、地下資源の無駄遣いが、地球温暖化ないし気候変動の原因とされています。「清貧の思想」と「もったいない」を復権させる役割をも、環境保全の象徴である琵琶湖畔にキャンパスのある、滋賀大学の新入生諸君に担っていただきたいのです。

 新入生諸君、本日は入学おめでとうございます。壇上の先生方ともども、心からお祝い申し上げます。学部生は4年間、研究科生は2年または5年間、人生で最も有意義な「経過点」を悔いなく過ごされることを、祈念申し上げます。本日は、ご入学まことにおめでとうございました。

平成22年4月5日
滋賀大学長  佐和 隆光