新入生の皆様、滋賀大学への御入学おめでとうございます。本日、教育学部256名、経済学部603名、大学院教育学研究科修士課程57名、大学院経済学研究科博士前期課程40名、大学院経済学研究科博士後期課程5名、特別支援教育専攻科8名の新入生を迎えて、彦根市長大久保貴様をはじめとする来賓の皆様方、また、ご家族の方々のご列席の下、入学式を挙行できますこと、心よりの喜びといたす次第でございます。

 本日より君たちは、90年にも及ぶ長い人生の内でのクライマックスとも言うべき4年間、琵琶湖畔に位置する滋賀大学での充実した生活を始めるのです。本学の学長としてまず申し述べたいのは、本学に在学中、君たちには、「大学でしか出来ないこと」に没頭して頂きたい。言い換えれば、小中高校ではできなかったこと、また社会人となってからはできないことに没頭して頂きたいというのが、私の切なる願いであります。

 本学は、専門的職業人の養成を、目標の1つに掲げていますが、専門的職業人とは、一体全体、何なのでしょうか。大学を卒業してから君たちは、何らかの職業に就くわけですから、まず何よりも必要なのは、その職業に就くにふさわしい専門的知識を身に付けることであります。

 教育学部に入学された諸君には、主として6歳から15歳までの小中学校生を教える、教諭としての優れた能力と、生徒たちに信頼されるに足る、素晴らしい人格の持ち主になって頂きたい。

 経済学部に入学された諸君には、日増しに複雑化する国内外の経済の動きを理解し、その行く末を的確に見通すに足るだけの洞察力を、そしてまた企業の社会的責任をよくわきまえた上で、企業という組織をマネジメントする能力を身に付けて頂きいただきたい。

 4年後に本学を卒業するであろう君たちが、誇り高き専門的職業人を自認するには、専門的知識を身に付けることが、そのための必要条件の一つであることは無論のことですが、それだけで十分だとは言えません。

 一人前の専門的職業人になるには、専門的知識にくわえて、深くて幅広い「教養」を身に付けることが必要なのです。インテレクチュアル、すなわち知性ある人びととは、歴史、哲学、文学、芸術、社会科学、自然科学といった、幅広い分野にわたる、浅からぬ知識と洞察力を身に付けた人のことなのです。

 教養を身に付けるには、まずは、読書するしか手立てがありません。そして、読書するだけではなく、読書して得た知見をもとにして、友だちと弾論風発して時の過ぎるのを忘れるほど議論し合うことが、インテレクチュアルになるための秘訣なのです。読書は1人でするのではなく、多くの友人と読書経験を共にし、夜を徹して論を闘わせること、すなわち討論することにより、読書の効能は倍加するのです。

 えてして日本人はコミュニケーション能力において劣ると言われます。グローバル化の進む昨今、英語でのコミュニケーション能力を高めることばかりが強調されるようですが、英語に堪能になったからといって、それだけでコミュニケーション能力が高まった、と勘違いしてはなりません。

 先に申し上げたような深い「教養」を身に付けておかないと、いくら英語での会話力が優れていようとも、欧米先進諸国でのパーティ・カンバーセ―ションに、付いてゆくことはできません。とくにヨーロッパでは、歴史、文学、芸術が、パーティでの話題の中心となります。

 かつて、評論家の立花隆さんが「国際会議に出席する大臣に随行する日本の官僚は、昼間は、会議での大臣のサポート役を上手にこなす。だが、夜のパーティでは、まったく寡黙になってしまう」と語ったことがあります。寡黙になるのは、英語が下手だからではありません。インテレクチュアルな話題について、チンプンカンプンな官僚が多いからです。ですから、黙して語らずのまま、パーティ会場を後にするしかないのです。

 昨今の日本では、「活字離れ」と言われ始めて久しく、恐らく君たちの大半は、読書とはほとんど無縁な高校生活を送ってこられたに違いありません。なぜかと言うと、受験参考書以外の本を読むことは、受験勉強にとって、有害でありこそすれ、無益だからなのです。

 だからこそ、大学生になった君たちには、是非とも、読書に多くの時間を割いて頂き、専門的職業人にとって欠かせぬ教養を身に付けて頂きたい。繰り返して申し上げます。コミュニケーション能力の基本は「教養」なのです。教養を身に付けるには、読書と討論が欠かせないのです。

 本学の卒業式は「蛍の光」の斉唱をもって閉式となります。皆さま方もご承知のとおり「蛍の光」の歌詞には「ふみよむ月日かさねつつ、いつしか年もすぎのとを、あけてぞ今朝は別れゆく」とあります。君たちには、この歌詞にあるような4年間を滋賀大学で過ごしてもらいたい。

 さて、今年度の新入生諸君の多くは「ゆとり教育」の最後の世代ですよね。2003年度に「ゆとり教育」が始まり、2011年度に終わりとなったのですが、私自身は、まったく残念なことだと思っています。実際、小中高校の先生方が「ゆとり教育」の意味と意義についてご存じなかったことこそが、「ゆとり教育」が失敗に終わった原因だったと私は考えています。

 「ゆとり教育」の先進国であるアメリカの小中高校では、次のような「ゆとり教育」が行われています。人前で自分の意見をわかりやすく表現する力、すなわちプレゼンテーションやディベートの力を身に付けさせること、そして豊かな自然と親しむ機会、芸術を鑑賞する機会、読書する機会を存分に与えること。これが、アメリカ流の「ゆとり教育」なのです。

 ですからアメリカでは、知識の詰め込みをするのは大学4年間においてのことなのです。大学の入学試験も日本とは大違いなのです。日本のセンター試験に当たるSAT(Scholastic Aptitude Test)の点数、高校の成績、高校の担任の先生の推薦状、高校在学中の部活動歴や生徒会活動歴、男性か女性か、出身地域、人種などを見て、総合的な判断をくだし、バランスに配慮して、入学者が選抜されます。

 専門基礎的な学修をするのが大学4年間であり、将来の職業に直結する専門的な知識を身に付けるのは、大学院においてのことなのです。専門的職業人の養成は、日本では大学の役割なのですが、アメリカでは大学院の役割なのです。

 アメリカの大学生・大学院生の猛勉強ぶりには、実にすさまじいものがあります。人文・社会系の科目なら、関連分野における、膨大な読書の宿題(reading assignment)が課せられます。しかも、大学たるもの「入るは易く、出るは難し」であり、アメリカの州立大学の平均卒業率は50%を割るそうです。

 他方、日本の大学では「入るは難く、出るは易し」といった次第で、高校3年間の受験勉強で精根が尽き果てたせいか、大学生になったとたん、かつて劇作家の寺山修司が言ったとされる名言「書を捨てて、町に出よう」を実践する者が、大学生の多数派を占めるかのようです。

 アメリカに留学するに当たっては、必ず受験しないといけないTOEFLという英語の試験があります。アジア30カ国の中で、日本は27位。日本より下にいるのは、ラオス、タジキスタン、カンボジアの3カ国です。この「事実」の意味するところは、受験勉強としての英語の学修が、TOEFLが試そうとする、本格的な英語力の鍛錬とはなっていないということであります。新入生諸君には、英語の本格的な読解力と作文力を鍛える訓練を怠らないよう、この場を借りて、お願いする次第であります。

 1997年度のピーク時には、4万7千人もの若者がアメリカに留学していました。ところが、2011年には、その数が2万人を割り込みました。他方、中国からアメリカへの留学生数は19万4千人と、日本のそれの10倍に迫る勢いです。

 最近の大学生は「内向き志向」になって、海外に留学したがらなくなったとよく言われます。理由はそれだけではありません。アメリカへの日本人留学生がこうまでも減少したのは、アメリカの大学院への留学を熱望するインド、中国、韓国などの大勢の大学生との学力競争が激しくなり、日本の大学生の優位性が保てなくなったからでもあります。その証拠に、アメリカとイギリス以外の英語圏の国々への日本人留学生は、ゆるやかな増加傾向にあります。

 今から4年前、本学の学長に就任した私は、2つのモットーを掲げました。1つは、滋賀大学を魅力と活力に満ち溢れた大学にすること。もう1つは、学生諸君には滋賀大学に入学してよかったと、そして教職員の皆さま方には滋賀大学に就職してよかったと思ってもらえる大学にすることであります。

 これら2つのモットーを実現するために、君たちがインテレクチュアルを自負するに足るだけの教養と専門的学識を備えた、グローバルな人材、すなわち世界で競える人材に育ってくれることを、心より願ってやみません。

 改めて申し上げます。皆さまご入学まことにおめでとうございます。

2014年4月4日
滋賀大学長 佐和隆光