新入生の皆様、滋賀大学への御入学おめでとうございます。本日、教育学部254名、経済学部594名、大学院教育学研究科修士課程59名、大学院経済学研究科博士前期課程40名、大学院経済学研究科博士後期課程2名、特別支援教育専攻科11名の新入生を迎えて、滋賀医科大学馬場忠雄学長様をはじめとする来賓の皆様方、また、ご家族の方々のご列席の下、入学式を挙行できますこと、心よりの喜びといたす次第でございます。

 本日より君たちは、90年にも及ぶ長い人生の内でのクライマックスとも言うべき、大学での充実した生活を始めるのです。本学の学長としてまず申し述べたいのは、本学に在学中、君たちには、「大学でしか出来ないこと」に没頭して頂きたい、という私の切なる願いであります。

 本学は、専門的職業人の養成を、目標の1つに掲げていますが、専門的職業人とは何なのでしょうか。大学を卒業してから君たちは、何らかの職業に就くわけですから、まず何よりも必要なのは、専門的知識であります。

 教育学部に入学された諸君には、3歳から18歳までの幼小中高校生を教える、教諭としての優れた能力と、生徒たちに信頼されるに足る、人格の持ち主になって頂きたい。

 経済学部に入学された諸君には、日増しに複雑化する経済の動きを理解し、その行く末を的確に見通すに足るだけの洞察力を、そしてまた企業の社会的責任をよくわきまえた上で、企業という組織をマネジメントする能力を身に付けていただきたい。

 4年後に本学を卒業する君たちが、誇り高き専門的職業人を自認するには、専門的知識を身に付けることが、そのための必要条件の1つであることはむろんのことですが、それだけで十分だとは言えません。

 一人前の専門的職業人になるには、専門的知識にくわえて、深くて幅広い「教養」を身に付けることが必要なのです。インテレクチュアル、すなわち知性ある人とは、歴史、哲学、文学、社会科学、自然科学といった、幅広い分野にわたる、浅からぬ知識と洞察力を身に付けた人のことなのです。

 教養を身に付けるには、まずは、読書するしかありません。そして、読書するだけではなく、読書して得た知見を基に、友だちと議論し合うことが、教養ある人間になるための秘訣なのです。読書は一人でするのではなく、多くの友人と読書経験を共にし、夜を徹して論を闘わせること、すなわち討論することにより、読書の効能は倍加するのです。

 話は変わりますが、昨年度の大学進学率は男女合わせて50.8%、男子55.6%、女子45.8%と、男女とも、ほぼ2人に1人が大学に進学するという高学歴社会に、わが国も相成りました。

 さて、滋賀大学が創立されたのは1949年のことですが、その5年後の1954年の大学進学率は、男女合わせてわずか7.9%。男子は13.1%だったのですが、女子はなんと2.4%という微々たる割合に過ぎなかったのです。私が大学に入学したのは、その7年後1961年のことでしたが、大学進学率は、依然として、男女合わせて9.3%、男子15.4%、女子3.0%という有り様だったのです。

 古来、男尊女卑の国日本では、「女性は大学なんぞ行く必要はない、せいぜい短大で十分、高校を出たら家事見習いをして、早く結婚せよ」というのが、今から40年ほど前までの、この国の「常識」だったのです。

 それはさておき、私が大学に入学したころには、女性はごく少数しか入試にエントリーしてこなかったため、また男子高校生の3分の2は、家庭が貧しいせいで、大学進学を断念せざるを得なかったため、大学入試は、今に比べれば断然やさしかったのです。

 おかげさまで、私と同世代の高校生は、受験勉強以外の勉強に精を出すことができたのです。夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介らの文学作品を読破するのは、ほぼ当たり前。ヨーロッパの文学作品の翻訳を片っ端から読破する者、マルクスやエンゲルスの著作を読みかじる者、大学の数学を独習する者、岩波文庫の哲学書を読破するつわものらが、少なからずいました。ことほど左様に、大学受検がやさしかったころの大学新入生は、ひとかどのインテレクチュアルだったのです。

 またその頃は、学生運動が盛んであり、大学に入学すると、マルクスやエンゲルスを読みかじり、談論風発して時の過ぎるのを忘れる日々を送るのが、ごく普通の学生の暮らしぶりだったのです。

 1970年代の半ばごろまでの日本では、国内外の思想家によって綴られた古典を読破し、思想家の言説をわがもの顔にして振る舞うのが、誇り高き大学生の証のように思われていました。

 兵庫県篠山市には、「デカンショ節」という盆踊り歌がありますが、この民謡が旧制高校で愛唱されました。なぜでしょうか。デカルト・カント・ショーペンハウエルという3人の偉大な哲学者の名前にこじつけて「デカンショ、デカンショで半年暮らし、後の半年は寝て暮らす」という歌詞に、旧制高校生たちは、自らの暮らしぶりをなぞらえたのです。

 ところが、昨今の日本では、「活字離れ」と言われ始めて久しく、恐らく君たちの大半は、読書とはほとんど無縁な高校生活を送ってこられたに違いありません。なぜかと言うと、受験参考書以外の本を読むことは、受験勉強にとって、有害でありこそすれ、無益だからなのです。

 だからこそ、大学生になった君たちには、是非とも、読書に多くの時間を割いて頂き、専門的職業人にとって必須の教養を身に付けて頂きたい。

 アメリカの小中高校では、「ゆとり教育」に重きが置かれています。人前で自分の意見をわかりやすく表現する力、すなわちプレゼンテーションやディベートの力を付けさせること、そして豊かな自然と親しむ機会、芸術を鑑賞する機会、読書する機会を存分に与えること。これが、アメリカ流の「ゆとり教育」なのです。

 ですからアメリカでは、知識の詰め込みをするのは大学4年間においてのことなのです。大学の入学試験も日本とは大違いなのです。日本のセンター試験に当たるSAT(Scholastic Aptitude Test)の点数、高校の成績、高校の担任の先生の推薦状、高校在学中の部活動歴や生徒会活動歴、男性か女性か、出身地域、人種などを見て、総合的な判断をくだし、バランスに配慮して、入学者が選抜されます。

 アメリカの大学生・大学院生の猛勉強ぶりには、実にすさまじいものがあります。人文・社会系の科目なら、関連分野における、膨大な読書の宿題(reading assignment)が課せられます。しかも、大学たるもの「入るは易く、出るは難し」であり、アメリカの大学の平均卒業率は50%を割るそうです。

 他方、日本の大学では「入るは難く、出るは易し」と言った次第で、高校3年間の受験勉強で精根が尽き果てたせいか、大学生になったとたん、かつて劇作家の寺山修司が言ったとされる名言「書を捨てて、町にでよう」を実践する者が、多数派を占めるかのようです。

 最近、東京大学が行った、全国の大学生を対象とする大規模なアンケート調査によりますと、授業を除く1週間の学修時間について大学生に尋ねると、日本の大学生の9.7%が0時間、57.1%が1~5時間であるのに対し、アメリカの大学生で0時間と答えたのはわずか0.3%に過ぎず、58.4%が11時間以上と答えています。

 先に申し上げた通り、アメリカの大学生には、膨大な量の読書の宿題が課されます。読書していかなければ、授業についていけない。だからこそ、否でも応でも、週に11時間以上も勉強しないといけないのです。

 恐らく、日本の大学生は世界で最も勉強しない大学生だと思います。多分、世界で最もよく勉強するのは中国と韓国の大学生です。

 アメリカに留学するに当たっては、必ず受験しないといけないTOEFLという英語の試験があります。アジア30カ国の中で、日本は27位。日本より下にいるのは、ラオス、タジキスタン、カンボジアの3カ国です。

 1990年代末のピーク時には、4万7千人もの若者がアメリカに留学していました。ところが、2011年には、その数が2万人を割り込みました。他方、中国からアメリカへの留学生数は19万4千人と、日本のそれの10倍に迫る勢いです。

 最近の大学生は「内向き志向」になって、海外に留学したがらないとよく言われます。確かに、そうかもしれません。しかし、アメリカへの日本人留学生がこうまでも減少したのは、インド、中国、韓国などの大学生との学力競争に勝てなくなった、日本の大学生の学力低下ゆえのことでもあります。

 今から3年前、本学の学長に就任した私は、2つのモットーを掲げました。1つは、滋賀大学を魅力と活力に満ち溢れた大学にすること。もう1つは、学生諸君には滋賀大学に入学してよかったと、そして教職員の皆様には滋賀大学に就職してよかったと思ってもらえる大学にすることであります。

 これら2つのモットーを実現するために、君たちがインテレクチュアルを自負するに足るだけの教養と専門的学識を備えた、グローバルな、すなわち世界で競える人材に育ってくれることを願ってやみません。

 改めて申し上げます。皆さまご入学まことにおめでとうございます。

2013年4月4日
滋賀大学長 佐和隆光