滋賀大学経済学部陵水会理事長  小梶 清司氏

滋賀大学経済学部陵水会理事長
小梶 清司氏

滋賀大学長  位田 隆一

滋賀大学長
位田 隆一

■姫路城下で送った少年時代 

小梶 本日は、学長に就任されてまだ日が浅く、何かとご多用のところ、貴重なお時間をいただきありがとうございます。

 まずは、先生のご出身、生い立ちについてのお話を伺えればと思います。

位田 私は姫路城に近い姫路市の中心部で生まれ、高校卒業までずっとお城を見上げながら育ちました。学長室から彦根城が見えるので、何かしら懐かしさと親しみを感じます。

 小学生のころは、ソフトボールをしてよく遊びましたが、音楽が好きでしたから、中学でコーラスを少し始め、姫路西高では音楽部に入りました。

 3年生の時には、部長になり指揮者としてNHKの全国高校合唱コンクール兵庫県予選に出場し、優良賞をもらったこともありました。

 中学、高校を通して勉強はそれなりにしました。特に好きな科目は英語と数学でした。数学は代数とか幾何で、論理的に考えれば正答が出るところが好きでした。高校生のときには、チラッと外交官になりたいなと思ったこともあります。いざ大学進学となると、生家は姫路で料理屋をしていたものですから、たぶん将来は後を継ぐことになるだろうなと思って、当時、よく言われていた「つぶしが利く」というので法学部を志望しました。特に法律がやりたいという思いはなく、司法試験を受ける気もなかったのですが。

 

■フランス語との出会い

位田 京都大学法学部に入って、第2外国語を選ぶ際、法学部の学生はドイツ語が定番でしたが、オリエンテーションで「何か国際的な仕事をしたいのだったらフランス語の方がずっと国際的」と奨められたこともありフランス語を学び始めました。一般教養の2年間はすっかりフランス語に夢中になり、担当の先生とも仲良くなって、「法学部フランス語学科」とか言われたこともありました。

 言葉というのは、生活の中で使われているからこそ言葉として生きているので、読み、書き、聞き、話す、の四つが出来ないと言葉を本当に出来たことにはならないというのが持論です。3回生になって自分のフランス語能力を一度試してみようとサンケイスカラシップ留学生試験を受けたところたまたま合格し、4回生の夏の終わりから、フランスのロレーヌ地方にあるナンシー大学に1年間留学することとなりました。

 

 ■刺激を受けた留学生時代

小梶 先生が国際法の道に進まれたのは、フランス語が取り持った縁も大きいのですね。

位田 その通りです。最初に私にフランス語を勧めてくれた香西先生は、国際法・国際機構担当で、国連PKO(平和維持活動)の専門家でもありました。

 ナンシー大学で受けたショーモン先生の「国際法」の授業は、教科書は一切使用せず、ポケットから小さな3、4枚のメモをぽんと出して、一気にしゃべり始めるのです。条約の逐条解説とかではなく、一つの国際法のルールができた政治的、経済的背景や、そのルールが適用された事件やルールの意義や現実の国際社会における妥当性等、ダイナミックに講義されていました。そこで、「ああ、自分もこんな国際法の先生になりたい」と思ったのが、その後京都大学の大学院に進み国際法の研究に進む一つのきっかけでした。

 もう一つの契機は、留学中に独仏国境に近いセダン、ヴェルダン、マジノといった戦場跡巡りをして、戦争というものの余りの惨烈さに打ちのめされて、平和とか幸福の大切さを痛感し、“自分は国際法をやるべきだ”という、何か神の啓示を受けたような気持ちになったことでした。

 

 ■国際法の新しい思考規準を提唱

小梶 そうしたことが原因で、国連や国際開発法の研究へと進んでいかれるわけですね。

位田 ええ。大学院に入って最初は南北問題を研究しました。発展途上国の人々の状況を見ると、戦争がなくても、あれではとても人々が平和な生活をしているとは言えないと思ったわけです。南北問題を国際法の観点から見たらどうなのか、がテーマでした。それで20年ぐらい南北問題を専門領域として、「開発の国際法」を研究していました。そうしているうちに、この問題を中心的に扱っているのは国連ですので、その研究も始め、さらにこれまでと異なる国際法の原則や規範が作られる過程を研究しました。

 そもそも国際法の基本原則は、「国家平等」です。大小、強弱を問わず、主権国家であれば、みんな平等に扱う、というのが伝統的な考え方です。しかし、戦後の国際社会では発展途上国の占める役割が大きくなり、こうした国々に対しては特別に有利な待遇(「特恵」)を認めるべきだという考えが国連の中で議論され、理論としてもフランスの学者を中心に拡がり始めました。私も、平等な待遇ではなく、結果が平等でなければ真の意味の国家平等ではないと考えて、「実質的平等」という原則が新しい「開発の国際法」の原則だということを日本で初めて主張し、論文を発表しました。

 

 ■生命倫理法の第一人者として

小梶 現在の温室効果ガスを巡る国際ルールを決める際にも、地球環境保護か開発かの対立があり、その考え方が底流にあったわけですね。
 ところで、その後先生は生命倫理の分野の第一人者となられました。そこに至る経緯は何だったのでしょうか?

位田 生命倫理との最初のかかわりは、1996年にユネスコから、国際生命倫理委員会を1993年から設けているが、97年にはヒトゲノムについての世界的な倫理ガイドラインを仕上げるため、日本からも若手の「国際法」の学者に入ってほしい、という依頼が来ました。それを受けて、私は委員として、ヒトゲノムに関する宣言のドラフティングに携わり、その後、委員長を2期4年間勤めました。その内に、医学や生命科学の研究や応用を進展させて行く上で、どういうことに気をつけなくてはならないか、患者の人権が侵害されたり、人体実験が行なわれたりしても困りますので、患者や被験者を保護しながら、いかに科学技術なり医学を発展させて行くのか、そうしたルールを考えるのが生命倫理の役割だと気がついたのです。

 倫理と言っても、結局それはその社会の価値観に基づいて人々が守るべきルールであって、その中で特に科学者なり医者が研究とか治療に当たって守るべきルールが生命倫理である、と言えます。戦争をやめて幸福な生活を送るのも、病気を治す研究や応用を通じて我々が健康で幸福になるのも、最終的にめざすところは同じだと言えます。

小梶 そうした意味では、法律と倫理のゴールは同じということですね。

位田 同じです。一方は、立法機関がつくるので拘束力があり、他方には拘束力はありません。しかし、両方とも社会を平和な状態に保つ道具であって、倫理はルールであり社会規範だと考えれば、法律で考えてきた考え方が、そのままあてはまると思って、ここまでやって来ました。

小梶 先生はこの分野の審議会等でいろいろな公職を務めて来られたと思いますが。

位田 ユネスコの委員になっていた時、宣言が出来たのが97年ですが、そのころから日本でも生命倫理を議論しないといけないという動きが出て来ました。

 一つには、国際的な科学雑誌に投稿するときには、倫理的な基準を満たしているとか、倫理審査を受けていることが掲載の条件になる傾向が世界的に出てきたからです。特にヒトゲノムは人の生命の設計図といわれ、それが解明されるとその人の生命や健康・病気の状態がわかるようになり、それが逆に差別に使われる可能性があります。そこで、世界的に、ヒトゲノムの研究も被験者保護などの基準を満たしていなければならないと考えられたのです。

 日本では、2000年にミレニアム・プロジェクトという大きな研究が国の研究機関により行われることになったので、厚生労働省がヒト遺伝子解析研究をするときのガイドライン(「ミレニアム指針」)を出し、その翌年6月には、国の研究機関に限定せず、オールジャパンで適用されるように、文部科学省、経済産業省、厚生労働省、3省合同の「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」が出されました。この間にヒトゲノム研究の憲法ともいわれた「ヒトゲノム研究の基本原則」が科学技術会議生命倫理委員会によって作られました。私はこれらすべてに関わっています。

 すこし話は前後しますが、ゲノム以外にも、97年2月にスコットランドでクローン羊のドリーの誕生が発表され、同じ哺乳類なら人間もクローンができるということで、同じ年のG8デンバーサミットで、各国でクローン人間の作製を禁止する合意ができました。それを受けて、日本でもその禁止の理由と方法を検討するため、首相の諮問機関である科学技術会議の下に生命倫理委員会を立ち上げました。

 それが日本での生命倫理に関わる国家レベルの議論の始まりです。私もそこに参加して、クローン人間の禁止について色々と議論をし、法律ができました。

 さらに続いてヒト胚性幹細胞(ES細胞)という、人の受精卵を破壊して中から細胞を取り出して再生医療に使う、という技術が開発されたのに伴い、それを日本でも行っていいかどうかという検討が始まり、それは法律ではなく指針で規制することになりました。このあたりからが日本での生命倫理に関する本格的な議論の始まりですね。こうした経過を辿りながら、私は日本での生命倫理のルール作りに関係した議論に初期の段階から参加し、1998年以降に出来た指針、特に医学系の研究に関連するほとんどの指針について作成段階から関与して来ました。

 現在は、「個人情報保護法」が改正された関連で、ゲノムに関する指針や医学研究に関する指針と、新しく改正された「個人情報保護法」との整合性を図るために、指針を改訂する委員会、文科、厚労、経産、3省合同の審議会ですけれど、そこの副座長を務めています。

談笑する位田学長と小梶陵水会理事長

■大学運営に向けての意気込み

小梶 国立大学が厳しい環境にある中で、今般新しく学長に就任されたわけですが、まずはその抱負や感想からお聴かせください。

位田 私は、非常勤で4年間滋賀大学の監事をしていましたので、滋賀大学全体は、ある程度は知っていましたが、細かい中身までわかっていたわけではありません。しかし、会議に出席して、出てくる話と資料とで、概略は把握していたつもりです。また6年間文部科学省研究振興局の科学官という、大学等での研究推進に関するアドバイザー的な地位にもついていました。そのほか、総合科学技術会議、学術振興会、厚生労働省や経済産業省など、いろいろな所で委員をしておりましたから、大学を内と外から見る目は備わっていると思います。その経験を今後の大学運営に役立たせて行きたいと考えています。もし、今まで自分がやって来た経験とか背景が役に立って滋賀大学を発展させることが出来るのであれば、何とかしたいと思って、学長をお引き受けしました。

 私は、学長になるに当たり「きらきら輝く滋賀大学」というスローガンを掲げました。滋賀大学というのは、先生方も学生も優秀な人たちが集まっているのに、それが生かし切れていない面があるように思います。運営費交付金がどんどん減らされる中で、なかなか思い通りの研究や教育も出来ない。もちろん、文部科学省の政策や措置を批判することはできるのですが、もっと重要なことは、滋賀大学がこれまでその力を社会に向かって示し切っていないのではないでしょうか。我々の大学はこんなに素晴らしい研究や教育をやっているのだということを、文部科学省に対して、そして社会一般に対してアピールしなければならないのです。じゃあ、いったい何をするのか、その議論の末に出て来た答えの一つがデータサイエンス学部の創設です。

 もっとも、データサイエンス学部は、ある意味ではプラスアルファで新しくできるわけですから、それができても経済と教育が新しくなるわけではないですよね。データサイエンスだけでなく、経済学部も教育学部も輝くような形で滋賀大学を盛り上げていきたいと考えています。

 大学の運営に当たっては、いろいろな会議で皆さんが出来る限り建設的な意見を出して頂けるようお願いしており、また外に向かってもあらゆる機会を捉えて大学の発信力を高めて行くことが大切と思っています。

小梶 だんだんと大学の運営も民間企業に近くなってきて、本来あるべき姿になって来ましたね。

位田 学長になってまだ1年目ですから、いま全教職員の一人一人とお話をする機会を持っています。もうちょっと全体を把握した上で、今後何をするべきか、秋か冬ぐらいには大きな方針を出したいと思っています。

 

■データサイエンス学部の波及効果は?

小梶 新学部のデータサイエンス学部について、お話を頂きたいと思います。どういう形になるかという学部の特色や新学部にかける期待、さらにはこの新学部設置を契機に大学全体がどう変わって行こうとしているのか、という点でいかがでしょうか?

位田 現代はビッグデータの時代と言われています。今や社会のあらゆる領域で、多様な種類のデータが生み出され、それが蓄積されてきています。しかしそのデータをどのように取り扱うのか、どのような意味をみいだすのか。日本ではそうしたデータの専門家は極めて少なく、危機的状況です。データサイエンス学部では、データを収集、加工、処理するための情報技術、データを分析、解析するための統計技術、そして、データ分析の結果から課題解決のための価値創造スキルの3つを身に付けた人材、つまりデータサイエンティストを養成します。「データサイエンス」とは価値創造のための新しい科学なのです。

 これまでの教育や経済と違って、データサイエンス学部は、理系の学部です。いままで経済学部と教育学部しかなかった所に理系の学部ができて、一般的に言えば、まずは発想の違う先生方が入って来られることによる刺激は、学部を越えてかなりあると思います。

 二つ目に、経済学部の学生も教育学部の学生もデータサイエンスとつながる形での教育を受けられる可能性です。

 つまり、経済と教育が縦の2本の軸で、データサイエンスは、それを横につなぐ横軸になって、逆π(パイ)型ですけれども、そういうかたちで教育研究ができる体制を作って行きたいと考えています。

 そういう意味では、滋賀大学の今の構造からすると、データのわかるエコノミスト、教育の中でデータを生かせるような教員、また経済・教育・医療・企業等々の幅広いデータがわかるデータサイエンティストが育成出来るということです。私はそれをγ(ガンマ)型と言っていて、専門を一つ持ちながら、他にもちゃんと手が出ている。しかも、しっかりした手が出ている人材を新学部の設立によって育成出来ると期待しています。

 また、現在既に実際のデータを扱っている人たちを大学院レベルでスキルアップし、ある種の理論武装をした、その分野だけではなく、他分野も見えるデータサイエンティストとして養成して行きたいとも考えています。

 

■学生へメッセージ

小梶 今の学生に期待されることや、かくあってほしいというお話がありましたらお聴かせ下さい。

位田 学生には、特に大学から与えられるメニューだけでなく、自分たちがこんなことをやりたい、もしくはやってほしいということがあればそれをどんどん出してほしいと思います。それから、自分たちは滋賀大学の学生であるいうことに誇りを持ってというか、そういう意識を持って、いろんなところに出て行き活躍して欲しいと思いますし、それをまた後輩にも伝えて行ってほしいと思います。

 また海外にも目を開き、留学や国際交流にも強い関心を持って欲しいと思います。大学としても英語での授業や提携校の拡大等、そのための環境作りを心掛けて行きたいと考えています。

 

■陵水会への期待

小梶 最後に、陵水会に対し、印象とか期待されるものがあればと思いますが、いかがでございましょう。

位田 私は、陵水会というのは、非常に結束が強くて、かつ、力のある同窓会だと拝察しています。各大学にはそれぞれ同窓会があると思いますが、陵水会ほど、みんなで一緒に滋賀大学を盛り立てて行こうという同窓会は、そんなにないと思います。ですから支援をお願いする側としては、大いに期待しております。

 期待するのと同時に、大学側からも、大学の考えを投げかけて、陵水会の皆さんと一緒に考え、滋賀大学のために何か新しいものをつくり出すことが出来れば素晴らしいと思います。また逆に陵水会からも、こんな話があるけれど大学として何らかの形でやりませんか、みたいなご提案を頂ければ、出来るだけ前向きに対応して行きたいと思います。

小梶 従来から、実業界で豊富な経験を積んだ卒業生の皆さんに講義への協力を願っております。是非この制度の積極的な活用をお願いしたいと思いますし、学生の就職についても、いろいろな形で引き続き支援を実施して行くつもりです。

位田 ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

小梶 本日は貴重なお話をいただき有難うございました。

 滋賀大学の変革に向けてのご活躍を心より期待いたしております。

 

この対談は、下記掲載元の内容を転載しております。

※掲載元

滋賀大学経済学部陵水会

「陵水会年報」(平成28年10月1日)